辻仁成・書評By 書評ランキング

辻仁成・書評偏差値ランキング
Sランク(75-70):なし
Aランク(69-65):海峡の光、アンチノイズ、白仏、旅人の木、刀
グラスウールの城、ワイルドフラワー、愛と永遠の青い空
Bランク(64-60):パッサジオ、嫉妬の香り、いまこの瞬間愛しているということ、太陽待ち、ニュートンの林檎
Cランク(59-50):世界は幻なんかじゃない、クラウディ、母なる凪と父なる時化、オキーフの恋人/オズワルドの記憶 愛はプライドより強く
Dランク(49-40):カイのおもちゃ箱、オープンハウス、ピアニシモ、サヨナライツカ
Eランク(39-25):なし

冷静と情熱のあいだ(江國香織・辻仁成著)
久しぶりに「先が読みたい」とどんどん読み進める本にあたった。
昔別れた恋人が、それぞれ別々の生活をイタリアで送っている。
しかし互いに忘れらず「30歳の誕生日にフィレンツェのドゥーモで会おう」という
約束に向って物語は突き進んでいく。

そのスピード感がたまならかった。
辻さんの描く男と、江國さんの描く女が一体どこで一緒になって新しい物語を紡ぎ出すのだろうか。
8年ぶりの再会に起こる出来事は何だろうかと、先を読み進めていた。

にもかかわらず、いつまでたっても、それぞれの単調な、しかしどこかちぐはぐな日常生活ばかり。
そんなことはもうわかっているから、早く再会してどうなるのか知りたいというまどろっこしさを感じた。

別れた原因、手紙を書いた後の行動、そして再会後の行動。
どれもなんだかすごく中途半端な印象を受けた。
設定がおかしいのではないか。そんな感じがした。
「冷静が情熱に勝った」というわりに、8年間も思い続けているし、
それでいて互いにずるずると日常生活に引きずられているし、
もしかしたら本当の人間もこんなものなのかもしれないが、なにか不自然な感じがした。
全体的な設定に矛盾があったのではないかという気がしてならない。

最後の結末もとってつけたようで、なんだか釈然としないまま読み終えた。
「まあ小説なんてこんなものだ。必ずといっていいほど結末に納得がいかないものばかりなのだから」

ただこの小説でおもしろかったのは、絵画を修復する修復士という職業の存在だ。
大したことのない恋愛ストーリーを中心にするより、はるかにこの修復士にスポットを当てて、
その人生を描き出した方がおもしろかったのではないか。

修復した絵が切り裂かれる事件、先生の自殺、絵画を教えてくれた祖父とのやりとりなど、
その話だけでいくらでもふくらみそうな感じだった。
他愛のない恋愛物語にするより、フィレンツェを舞台にした日本人修復士の半生みたいなテーマにしたら、
すごくおもしろかっただろうにな。

海峡の光(68)
最近はまっているのが辻仁成である。
今話題の映画「冷静と情熱のあいだ」で江國香織と共著した作家だ。
その本を読んだのがきっかけで、他の作品も読んでみようと思った。

実はあまり辻仁成にはいいイメージを持っていなかった。
ロックバンドをする傍らで作家になったという経歴と、ちゃらちゃらしたその外見から、
実力はないがただ人気と話題のある作家なのだろうと思っていたからだ。

しかししかし、この「海峡の光」を読んでびっくり!
文章もうまいしテーマもおもしろいし、展開もおもしろい。
この本が芥川賞受賞作品だと読んだ後に知ったが、納得できる完成度。
それ以後、辻君の作品を次々と読んでいる。
「冷静と情熱のあいだ」のような、若い女性受けを狙った軽いノリの恋愛小説とは全く別人と思える、
完成度の高いこの作品を紹介したい。

函館の刑務所を舞台。
刑務官と犯罪者が、小学生時代のいじめられた子といじめた子の関係だったという18年ぶりの偶然の再会から、
その人間の本性ともいうべき歪められた心理を追っていく物語。
何か起きそうで何事も起こらない、そんな日々の緊張感が、
作り話的な小説っぽくなく、リアリティがあり、人間の内に潜む日常を見事に描き出した作品だ。
ただ最後に出所する時に刑務間を殴ってしまうという部分だけは安直すぎた感は残ったが、
全体としてのストーリー展開は実に緊張に満ち溢れて良かった。

監視する刑務官は、一生刑務所からは出られず、社会の模範として常に社会から監視されるという皮肉。
「受刑者たちが自分よりも広い世界で生きてきたような気がする」
刑務所という実に狭い社会で、一元的な社会規範を押しつける刑務官という仕事。
「彼らの狂気じみた人生の道程を聞くたびに、常識の中でしか世界を把握できない自分が、
彼らの何十分の一も世間に媚びた存在にしか思えないのはなぜなのか」
そんな社会への閉塞を感じる刑務官は、この街から抜け出したいという焦燥にかられる。

「私は一生刑務所の囲いの中で生きなければならないのか。
どこかに逃げるのではなく、この限られた街の中でパラレルに存在する、もう一つ別の世界を築きあげるのだ」
−そんな思いが水商売との女性との出会いとなる。

函館の青函連絡船の廃航。
連絡船から刑務官への転職。
かつて恋人だった女性の船での自殺。
様々な問題の種子はばらまかれていく、その緊張をはらんだストーリーが、先へ先へと読者を誘う。
160ページもの短編だが、実に人間模様をよく描き出した作品であるといえる。

アンチノイズ(68)
最近、辻作品にはまっていろいろ読んでいるが、
他の作品とはまるで別人が書いたような作品で実に良い。
主人公とその友達。2人の男は中途半端なだめ男だからいいのかもしれない。
そしてまた、登場する女性たちもまた、
中途半端で非常に現代的な病に陥っているキャラクターが非常に良い。

お役所勤めの騒音対策課の男が、ある時「音の地図」を作成しはじめる。
それが一つの描写となって作品を通底しているわけだが、それが主テーマではなく、
現代社会の音も聞けなくなってしまった、まともなんだけど落とし穴に陥ってしまった、
普通の現代人を描いてる様が実に良い。

主人公は彼女の浮気を留守電を盗み聞きして聞いていながら
そのままにし、かつ自分はテレクラ嬢と浮気をしている・・・
主人公の友達は、奥さんとそりがあわなくなり離婚沙汰になっている。
子供に会いに行く父親のみすぼらしさと母親のかたくなまでの態度。
主人公の彼女は新興宗教にはまって結果何人もの男と関係を持つことに・・・。
何かこのどうしようもない閉塞感につつまれた社会の中で、
それでも何かをよりどころにしながら生きていく。
そして「音の地図」・・・

辻作品の弱点はあまりに話が短すぎて、テーマはおもしろいのにあっけなく終わってしまうが、
さすがにそれに気づいた編集者がいたのか、「新潮」に掲載された170枚に、
それとほぼ同数の150枚も加筆し、改稿・改題してできた作品だ。
ほんとこれでも少ないぐらいなのだが、なかなかおもしろかったよ、これは。
スリリングだったし。

白仏(67)
生と死の際立った対比。戦争での「殺人」意識から常につきまとう死と生。
祖父の一生を辿った作品。
子供時代から大人、そして死ぬまで。臨終がプロローグに来ていることが、
また一つ、生と死の対比を描いている。

それが一番鮮やかなのが、戦争帰国と結婚後の出産だ。
人間の儚い死を嘆いていた主人公にとって、生が生まれる瞬間を実感として味わったのが自分の子供だった。
こうして生と死が繰り返されていくのが人間の人生だということに気づくのだ。

子供時代に登場するユニークな仲間たちを辿りながら、死していく人々の想いを胸に秘めながら、
彼が最後に出した結論が、みんなの骨で一つの仏を作るという試みだった。
祖父をモデルとして取材を綿密に行っているからこそ、多少の創作はあるにせよ、
ここまで生き生きとした人生を描けたのだろう。
生と死がテーマとはいえ、ストーリーに重苦しさはなく、むしろおもしろく読み進める作品ではないか。

刀(65)

夢や人生、結婚とは何かを考える良書

これまでの辻君の半生をモチーフにした自伝的小説。
自伝的小説ってあまりおもしろくないのが相場だけど、これはすごくおもしろかった。
特に中山美穂との出会いと3度目の結婚が、
彼の人生そのものを変えたというのが興味深い。

彼は中学生の頃にすでに人生設計図を描いていた。
十代、詩人になる。或いは夭折。
二十代、レコードデビュー、武道館でライブ。或いは病死。
三十代、小説を書き、芥川賞を取る。或いは自死。
四十代、映画を撮りカンヌ映画祭に出品。或いは長生き。

彼はほぼこの設計図通りの夢を実現していく。
(彼がキザなのではなく、早いうちから自分の夢を書ける人は夢を実現する可能性が高い)
しかし2度の離婚を経て、自分が結婚というのものに向いていないと悟っていた頃、
中山美穂と出会い、このような言葉を言われるのだ。
「野心を捨ててください。
争いごとを避けて、無理をしない程度の仕事量にしてください。
私が生む子供とつつましく向き合って、家族の傍にいてください。
そうすればきっとあなたは幸福になる」

彼はこれまでの二度の結婚失敗談からそんなことはできるわけがないと、何度もいっていたが、
次第に中山美穂のいう「幸福」に理解を示すようになり、そしてついに結婚を決意する。
それと同時に中学生の時に書いた人生設計図を破り捨てたというのが印象的だ。
彼は今まで自分が描いてこなかった「幸福」に気づいたのだ。

中山美穂との交際発覚が報じられた時、
私はつぶやきで非常にうさんくさい目で見ていたことを書いている。
2度も離婚を繰り返し、女ぐせも悪く、単なるスケコマシが、さらなる上物を狙おうとは。
きっとそのように多くが思ったはずだ。
しかしこの本を読むとわかる。
彼にとって彼女が今までの女性とはまったく違った存在であり、
しかも彼が追い求めていた野心ともいうべき人生の設計図を、
破らせてしまうほどの人であったということが。

小説家になる。芥川賞を取る。レコードデビューをする。武道館ライブをする・・・
それはたいした夢だし、追い求めるべき価値があると思う。
でもたった一人の女性によって気づかされる。
「そんなことして幸せ?」
地位や名誉や権力やそういった俗世間的な栄誉ではなく、
無理をしない程度に働き、不必要の贅沢をすることではなく、
自分たちが生きていくだけの必要最低限が稼げて、
それで妻と子供と向い合える時間が作れること。
それが今までの辻君にはなかった「幸せ」だった。

夢は大切だけど動機が大事なんだと思う。
芥川賞を取ることは夢にはならないと思う。
芥川賞を取るような作品を描いてこういうことを伝えたい。それが夢だと思う。
総理大臣になりたい。それは夢ではなく、単なる権力欲だ。
総理大臣になってくそアメリカのいいなりにならずに済む日本を作りたい。それが夢だと思う。
小説家になること、レコードデビューすることは夢じゃない。
小説家になって、歌手になって、こういうメッセージを伝えたい。それが夢だと思う。
辻君はこの中山美穂との出会いによって、自身の創作活動の意味自体にも考え直す契機を得たのだ。

ま、自伝「風」小説であるのでどこまで真実かはともかくとしても、
今まで現世的な栄誉ばかりを追い求めてきてある程度それを実現してきた男が、
一人の女性との出会いによって人生を問い直そうというありようがよく描かれていて、
大変おもしろかった。
中山美穂との出会いばかりについて書いたが、
この物語は前の妻とのことや子供の頃の話も書かれていて、それもおもしろい。

ワイルドフラワー(65)
何がおもしろいかって、3人の男性がかわるがわる主人公として登場すること。
そしてニューヨークを舞台にしていることと、そこでもがいている日本人像がすごく生生しくて良かった。
アメリカという「自由」という幻想を求めて、自分がわからなくなって日本から逃げ出した人たちってほんといそう。

またこの作品に妙なリアリティを与えているのは、作者自身の実体験がかなり反映されていると思われるからだ。
作者モデルを主人公にしただけだったら、ここまでおもしろくなかったのだろうけど、
3人の男性と1人の女性が、それぞれ特異な環境に囲まれながら、
アメリカでもがいて生きていく姿というのは実に良かった。

結末はいささかいただけない部分もなきにしもあらずだが、
クライマックス前の4人が入り組むシーンなどは、スリリングで実に良かった。
しかしこれを読んでいると、辻君相当病んでるよな。大丈夫かな。
でも病んでいても、それを書くことによってギリギリのところで解消する。よくわかるよ。その気持ち。

愛と永遠の青い空(65)
この本は実におもしろい。
でも決定的にタイトルで大失敗しているので、すごく損してると思う。
この題名と著者「辻仁成」というイメージから、この本を手に取る人は少ないのではないか。
いかにもくさい恋愛小説のようなタイトルイメージから、読者が逃げてしまうのではないか。

しかし、この作品、
同時期(2002年冬)に出されて大いに話題になった村上春樹の「海辺のカフカ」なんかより、
はるかに話題になっていい、興味深い本の内容だった。
タイトルに本の内容がわかるような、誤解されないものをつけるべきである。
「七十五歳」「ハワイ」「真珠湾」というキーワードがタイトルに入れた方がよい。
具体的なキーワードが入るのが嫌なら、せめて「青春の残滓」ぐらいにしておくべきだった。
「愛」とか「永遠」なんてありふれた言葉では、せっかくの本の内容が台無しだ。

ま、タイトルの失敗はともかく、実におもしろかったな。
「海辺のカフカ」が主人公が15歳ということで随分と話題になったが、
それをいうなら、この辻君の75歳が主人公の小説という方が、
よっぽども珍しく、センセーショナルで、今の時代状況を考えれば意義深い。
多少「75歳より明らかに若いんじゃないか」と思える行動や発言もあるが、
本全体の趣旨からは逸脱していないので、問題はないと思う。

しかし僕がこの小説で驚いたのは、別に主人公の年齢ではない。
この主人公たちがハワイに「旅行」するのだが、
その目的が自分たちが奇襲攻撃をした真珠湾を見たいという動機からなのだ。
その時、僕ははっと驚いた。
そっか、真珠湾はハワイにあるんだよな。
日本人は大勢ハワイに行くけど、「真珠湾を見てきた」という人を僕は聞いたことがなかった。
この本を読んで、気づかされる。
ハワイも第2次世界大戦において日本軍によって犠牲になった場所なんだなと。

僕が2002年、旧満州国地方、つまりは今の中国東北地方を訪れることになった時、
「ひょっとして日本人だとわかったら石を投げられるんじゃないか」と思ったりもした。
もちろん現在はそんなことはまったくないんだけど、
日本がこの地にしてきたことを思えば、そのようなことを考えてもおかしくはない。
もし、そのような場所に旅行に行くことになったら、
程度の差こそあれ、ふとそんなことを思い、旅行中も意識のどこかで、
過去の歴史をふまえて気遣いをするのではないか。

しかし、ハワイにはまったくそれがない。
ハワイが「アメリカ」という戦勝国だということもあるだろうし、
中国やアジアに対して行った横暴に比べたらたいしたことはないのかもしれないけど、
日本軍の真珠湾攻撃で殺された人々もいるわけである。
でもそんなところで、誰も真珠湾を見にいくための旅行などせず、
のん気にブランドショッピングやビーチでくつろいでいることを考えると、
もしかしたら実はすごく傍若無人なことをしているのではないかと思った。

ま、考えすぎといえば考えすぎなのかもしれないし、
今のハワイにいる人たちが、日本人に望んでいることは、
過去の歴史を知ってもらうことなんかより、
バカみたいに金を落としてくれることかもしれないけど、
そうではない部分も現実としてあるということをこの小説で知ることになる。
この小説は現実に基づいたノンフィクションではないものの、
真珠湾攻撃でケガをした地元の人や、早くからハワイに移民し、心はアメリカ人にもかかわらず、
「日系人」ということで苦しい立場に立たされ、
今でも日本軍のしでかしたことにわだかまりを持っている人もいることを知る。

そっか、ハワイにはそんな面があったのだな。
そのことが僕にはすごくセンセーショナルなことに思えた。

昨年、中国・ハルピンで日本軍のおぞましい人体実験が行われた跡地を見たり、
今年、ポーランドのアウシュビッツ収容所を見たりして、
僕はこれまでと違った旅行モチベーションというか旅行動機があり得るんだなということを、
ちょうど考えていた時だった。
イラクに対するアメリカのバカさを毎日のようにニュースで流されつづけている今こそ、
第3次世界大戦を起こさないためにも、
第2次世界大戦の跡地を訪れて、かつての人類の過ちを見つめなおすべきではないか。
この小説で真珠湾を訪れたいという人がいるように、
アウシュビッツをこの目で見てみたいという人もいる。
映画「戦場のピアニスト」がヒットしたら、「戦場のピアニストツアー」というのが結構反響があったらしい。

確かに旅行は「楽しい」から行くのが主かもしれないけど、
結構、そういった歴史的な動機づけによって行く人も多いわけで、
かつての戦地というと非常に暗くマイナス的なイメージがあるかもしれないけど、
それは大変意義深い旅行になるし、そういう旅行をしたいっていう人は潜在的には多いんじゃないか。

それをよってたかって、やれビーチだ、やれショッピングだ、やれグルメだって、
バカみたいにどこでもできることを騒ぎ立てるメディアの感覚がおかしいんじゃないか。
ふとそんなことを、ポーランドを訪れて思っていた時に、この書に出会い、
「そっか、ハワイだってそうなんだ」と思って、非常に感銘を受けた。

そういう意味で、この本はとてもおもしろかったし、
でも考えさせられるテーマが「愚かなる戦争」ということよりも、
戦争を経験してしまった人たちが、年をとったときに、時代の流れに乗れず、
自分たちの人生をどう考えたらいいんだろうかと悩むことに主眼が置かれていることが、実によい。

戦争が愚かなることってことを教科書的に「叩き込まれて」も、実感がわかないんだけど、
戦争を経験した人の虚しさとその後の人生と時代の移り変わりみたいなものをテーマにすると、
それがよく身に寄せて実感できる。
そういう意味で、この本は実におもしろかったなといえる。

グラスウールの城(65)
テーマが非常におもしろい。
「音楽」をテーマにしてるんだけど、何も辻君のロックバンド時代の自慢話ではなくって、
テープからCDが主流になった時、アナログからデジタルに変ってしまった大いなる問題点を中心に、
現代日本のポップ音楽の作り方の問題を見事にあぶりだしている。
それを中堅ディレクターの幻聴と左遷という形で象徴的に表している。

そこに一人の男が現れる。自然界の音を取り込もうとする男。
デジタルにはないアナログの良さー自然界の良さ・・・
音楽のデジタル化という一つのイシューが、
いわばあらゆる世界・社会で「デジタル化」が行われていることへの警鐘としての役割を果たしている。

ただやはり短いな。
これだけおもしろいテーマを扱っているのだから、もっと書いて欲しかった。
自然界の音を聞くべく北海道に行って、その音を聞くところで終えてしまう・・・
確かにここで終えないと、あとはあらすじのこじつけみたいに、
なるから書かなかったのだとは思うけど、それでももうちょっと書いて欲しかった。

でもやはりここでこれ以上書けないということが、現代社会の出口のなさを端的に表しているのだろう。
一介の作家がその先を書けるぐらいなら、とっくに社会はその問題に気づき、解決方法をとっているだろう。
その決定的な道筋が見えない・・・
だから「今が問題」と知りながら、他に選択肢がないから、ずるずるずるずる行ってしまうのだろう。

作家には、書くことには2つの役割があると思う。
1、問題を気づかせること
2、新しい提案をすること

この作品では1にとどまっている。辻君には1だけでなく2も書いて欲しいんだな。
それに僕が共感するか、読者が共感するかはわからない。
でも表現者ならば、アーティストならば、問題がありますよと提示してしまうだけでなく、
そこから自分の解釈も提示して欲しいな。
そこではじめて社会を良くする議論の第1歩が生まれるのだろうから。

ゴーストライター(55)
ストーリーは現代社会の歪んだ人間や社会を描いていて、どこにでもあふりれたものなんだけど、
だからこそおもしろいっていうか、やっぱり今の社会ってこうなんだよなみたいな、共感しやすいもの。
しかし主人公を一貫して「君」と呼ぶために、いつまでたっても感情移入ができない。
なぜ「私」や「僕」や「まさお」とかではなく「君」という二人称にしたのか。
意味があってのことと思うが、僕にはこの日常のありふれたストーリーからすれば、逆効果だったように思う。

ありふれた話だから敢えて奇をてらって「君」にしたとしたら大馬鹿者だけどな。
何も奇異なストーリーを描く必要などどこにもないのだから。

あとはページ数があまりに少ない。
多分40歳前後の男性を取り巻くいろんな問題が出てくる。
離婚・妊娠・仕事・浮気・神経症・正常と異常・ランニング・・・
もっともっとページを割いて、物語を展開できたのに。残念でしかたがない。

旅人の木(65)
辻君、なかなかやるじゃないか。というのが読み進めていた時の感想。
タイトルからするとなんだか軽いエッセイみたいな感じだけど、なかなか奥深い作品だ。
はっきりいってタイトルを変えた方がいい。
たとえば僕なら「鏡像」とかつけるな。
「旅人の木」じゃ、この本の内容がなんだかわからないから。

テーマはリアリティのない現代社会に生きる若者が、失踪した兄を探すことによって、
現実とバーチャルな世界の狭間で揺れ動き、
最後にみつけた兄によって殴られることによって「生きる」ことを知るという実によくできた物語。

10年ぶりに再会した兄は、何を言わず殴ってまた消えていった。
「今まで殴られたことがあるのははじめてだ」現代社会のバーチャルな社会を端的に表している言葉だ。
現代の若者は、殴られたことないからこそ、痛みを知らないから、
簡単に人を殺してしまったり、狂暴ないじめをしてしまったりする。

死闘ごっこを演じていた兄は、自分の肉体を傷つけることによって、空虚な社会で自分の存在を確認しようともがいていた。
兄探しの途中で、まるで探している弟がまるで兄そのものになっていくような、
ひょっとして探している兄なんていなくいて、それは自分自身なのではないかと思わせるようなところが実におもしろい。
また兄の元恋人と互いに兄の消えた存在を、セックスで埋め合わせしていくのも、
空虚な現代社会にいきる若者の唯一のリアリティを感じる方法としてのセックスという意味で非常によくわかる。

よくできた話だが、200ページに満たずに終わってしまい、ちょっと物足りない感じはあったが、
「兄」という現代を象徴する存在を探し求める物語はよくできている。

パッサジオ(64)
ミュージシャンを主人公にした話から、辻君自身のミュージシャン時代の、
ナルシスティックな物語だったらやだなあと思っていたが、そうではなかった。
しかも辻君自身をモデルにしたような主人公が、一人の女性と出会い、
その人とのしょうもないラブストーリーだったらやだなと思っていだが、そういった話でもない。

「音楽による延命」という非常におもしろいモチーフを使って、
延命研究所を舞台に、そこで繰り広げられる物語から、
「命とは何か」「生きるとは何か」「死とは何か」を考えさせられる、非常に興味深い物語だった。

辻君というともとロックミュージシャンで非常にちゃらちゃらしたイメージもあり、
(実際もそうなのかもしれないが※中山美穂との不倫騒動など)
読みたくないという人も多いかもしれないが、文章はまったくそんなところがなく、非常に好感が持てる。

「死ぬために生きているって言ってもいいんじゃないかしら、私たちの人生とは」
という言葉には大きなショックを受けた。
誰だって死ぬのは嫌だけど、誰だって必ず死ぬ。
それだったら、「死にたくない」と思って生きるより、
「死ぬために生きる」という発想の転換はすごいことだと思う。
(残念ながら、今そういった思考を持てるかといったら自信はないが)

複雑怪奇で遠回しに主題を隠すような偉そうな文学作品とは違って、
テーマがわかりやすいのがいいか悪いかは別としても、非常に読みやすく、考えやすい物語だった。

嫉妬の香り(64)
最近、週刊誌だかなんだかで、嫌いな作家トップテンか何かにランクインされていた辻仁成だが、
確かに彼のプレイボーイ&ナルシスト的態度が気に食わないのはわかるが、
この人の本はほんといいですよ。
あまり外れがない。くだらない恋愛話だけのものもあるが、
基本的には、すごく文学的で、
はっと思わせるような人間の人生みたいなものが、根底に息づいている。
くだらない恋愛話の方が何かとマスコミに話題になるけど、
「海峡の光」とか「白仏」とか「母なる凪と父なる時化」とか、
非常にいい作品が多く、だからあのキャラクターにもかかわらず、
芥川賞とったりしてるんだよなあ。

この「嫉妬の香り」もはじめは、最近のトレンディドラマになりそうな、
くだらん恋愛物語かと思っていたが、そうではなかった。
基本的には2組のカップルの男女のもつれという話なんだけど、
うまく「音楽」という仕事を絡めて「香り」というキーワードを使って、
話の幅を持たせているあたりに好感が持てる。
またこの主人公の男性の心情の動きというのがほんとよく描かれている。
「わかるなー」っていうか。
多分、これと似たような状況が辻君にもあったのだろう。
だからこそこんなリアリティを持って描けるのだろうな。

僕が辻作品を読む上で一番心配していたのは、
辻君を投射したような主人公が、
暗に「俺はもてるんだぞ」みたいなことになっていないかということだったが、
むしろ辻作品に出てくる男はだらしなくて(別にすごくだらしながないわけではない)、
普通っぽくて、その心配は杞憂に終わっているからこそ、次も読みたいと思えるのだろう。

また彼がミュージシャンであることから、
ミュージシャンはすごいんだぞとか、
これが裏の世界なんだぞみたいな自慢話ではないことも、好感が持てることの一つ。
この本でも「音楽」は出てくるが、ヒーリング音楽を研究している教授という設定で、
ロックミュージシャンはすごいんだぞみたいな自慢的裏話的なことではない。

そんな「癒し」の音楽を作っている人間自身が病んできて、
そのうちにノイズミュージックを聞き出すようになったという、
音楽の流れも非常にわかりやすくてよい。

まあただ辻作品にいえることは、やはり多くは辻君自身の等身大の視点で描かれているものが多いから、
男性は同感するかもしれないけど、女性にはなかなか同感しにくいかもしれない。
だから僕にとっては非常に痛快に読み勧められる数少ない作家の一人である。

いまこの瞬間愛しているということ(62)
ほんと辻君はバカだと思う。せっかくおもしろい題材、おもしろい小説を書いているのに、
こういうわけのわからぬ「愛」だの「永遠」だの「瞬間」だのって言葉をタイトルにつけてしまうから、
せっかくのおもしろい小説が多くの人に読まれない結果になっている。
担当した編集者もタイトルを変えるよう強くいうべきだな。

この小説は、ある意味、非常にタイムリーな話題を題材としていて非常におもしろかった。
フランスのレストラン格付けを行っているミシュランにまつわる話を舞台にしている。
つい先日の朝日新聞で、ミシュランの元調査員が、
「調査員は100人なんていない。5人しかいない」
「(最高ランクの)三つ星の3分の1以上が値しない」と暴露インタビューをしたばかりだ。

とにかく三ツ星獲得のためにすべてをなげうってやっきになるシェフ。
すでに三ツ星をとった師匠の低落と悲しい結末。
そこに日本人女性シェフとの恋愛話をからめ、
しかもその元恋人がなんとミシュランの調査員だったという衝撃的な展開で一挙に話は盛り上がる。

批判しようと思えばいくらでも批判できる拙い点はあちこちに見受けられ、
「海峡の光」とか「アンチノイズ」なんかに比べたら、非常にテーマは浅いかもしれないけど、
でも物語の展開のおもしろさがあり、一挙に読み終えてしまえる爽快感があった。

SARS、イラク戦争という思想を反映させてか、そこに反米を盛り込んでか、
感情がなくなる「アメリカ病」なる皮肉を持ち出してきたことも、
反米の私ですらやりすぎ感を感じてしまうわけだけど、
でもそれは今を象徴している「アメリカ」「テロ」と、それとはまったく関係ない、
現代社会病的な意味での感情喪失病というモチーフは確かにおもしろいと思う。

肝心のヒロインがこの病にかかってしまってから、急に物語は停滞し、つまらなさが際立ってくるものの、
でも全体的には非常によくできた、おもしろい小説だったという評価。

それにしてもここでは「ミシュランの三ツ星」を獲得するために、
まさしく死をかけて戦っているシェフたち、それに群がるマスコミがよく描かれているのだが、
元調査員の暴露が本当なら、中身のないブランドが一人歩きしてしまったランク付けに振りまわされる、
あまりにも悲劇的なフランス・レストラン界といわざるを得ないだろうな。

そういう意味でもこの小説は非常にタイムリーなのだから、
抽象的な、中学生の女の子がつけるような情けないタイトルではなく、
本のテーマがわかるようなタイトルに絶対すべきだと思う。

太陽待ち(62)
またもや「戦争」をテーマにした物語で、
この人、ほんとイメージとは違っていい小説書くよなと思う。
第二次世界大戦の日本をテーマにしながら、過去の回想録をうまく用いた形で、
しかも中国での悲劇と広島原爆での悲劇を、
直接的ではなく間接的な形でじんわりと読者に訴えかける手法は素晴らしい。

おもしろいはおもしろいんだけど、2つの話を複層的に複眼的な視点で進めるので、
時折、なんの話かわからなくなってしまうぐらい、
ちょっと凝った構成をしていて、そこまでしなくても十分話は伝わると思う。
また、広島にいたアメリカ人が、原爆が落とされることを知りながらこの地から離れられないから、
人目ぼれした看護婦に子孫を残そうという発想も、ちょっとなんだか強引な気もしないでもないし、
兄二郎の話も、この物語に必要だったんだろうかと思えなくもないけど、
基本的には映画を作っている監督の中国での悲劇的な過去の回想が中心とはなっている。

読み進めていくのは難儀ではないのだが、ちょっと長いので、
好きではない人が手軽に読めるような本ではないかもしれないが、なかなかよい本だと思います。

ニュートンの林檎(60)
辻君にしては珍しく長いが、2度のくりかえしまではおもしろかったが、
3度目はさすがにねたばれでつまらなかった。
最初も結構停滞気味だったが、まんなかはかなりよかった。
主人公が頼りないのがいいのかもしれない。

主人公とものすごく親しい間柄ながら、つきあうことのなかった憧れの女性との波瀾万丈劇。
女性が度々持ち込む問題に、主人公が関わっていく。
そこでの主人公の揺れ動く気持ちや、問題のスリルさなどは、
1,2回目の出会いまではよかったが、3度目は「またか」という印象。

女性との冒険話の他に、主人公が歩んでいく人生も興味深い。
仕事の光と陰、結婚の光と陰・・・。そういった読み方もできる。
文章量を2/3ぐらいにしておもしろいところだけを凝縮した方がよかったな。

世界は幻なんかじゃない(56)
<1>
写真は実にいいですよ。雰囲気がすごく出ていて。
文章を書いた人が撮っているから、写真がうまく文章と溶け込んでいるのでしょう。
別にカメラマンをつければ、写真の質はあがるのでしょうが、文章との調和が薄れてしまう。

「自由とは何か」をテーマにしたこの本。
妻と子供をおいてニューヨークで一人暮らしをはじめた著者が、
20年前、ソ連軍機を携え家族を置き去りにしてアメリカに亡命した男ペレンコに会い、そしてインタビューする。
アメリカ大陸を横断する鉄道に乗って旅するテレビの企画のついでに、
その最終地点で彼にインタビューすることになったのだ。

大陸横断鉄道で各所をまわりながら、「アメリカとは一体どんな国なのか」ということを、
否応なく考えさせられる。アメリカを考えることが、自由を考えることにもなる。
家族を捨ててまで自由を求めて亡命したペレンコの思いを、必死になって聞き出そうとするが、
著者の試みはことごとく裏切られる。
亡命から20年の歳月が過ぎた今では、彼はもうすっかりアメリカ人として普通の生活を送っていた。

著者が聞き出そうとする過去の思い。
しかし彼が答えるのは、今の自分のビジネスの宣伝ばかりだった。
家族を捨ててまで自由を求めた結果をどう思っているのか、聞きだすことはできなかった。
敵国から来たソ連人は、アメリカという世界の超実験的多民族幻想国家の中で、機会を与えられ自由を得たのだ。
ソ連から来た彼の「アメリカ評」はアメリカという国を実に端的に言い表していた。

<2>
この本はある意味では失敗だった。
自由・民主主義を標榜するアメリカとはいかなる国家なのかをテーマにし、
著者が家族を日本においてまでニューヨークで生活しているその答えを、
ソ連からアメリカに魅せられて亡命したペレンコのインタビューで代弁させるという、
そのはっきりした構成が曖昧になっていたからだ。
特に予想に反してインタビューでペレンコが家族の思いをあまり語らなかったことで、
この本のテーマは完全に失敗してしまった。

しかし「アメリカとはいかなる国家か?」を主題にすれば、
著者がアメリカに一人暮らししていることも、ペレンコがアメリカに亡命したことも、
うまく言い表せたのではないか。

ペレンコの予想に反したインタビューで主題をうまく代えれば、
本としての構成はしっかりしたのではないだろうか。
ただ何にせよ、著者がなぜ家族を捨ててアメリカで暮らしているかという思いを、
アメリカを旅する中でもっと盛り込むべきだったように思う。

そうすれば、かつて藤原新也が全東洋をまわったあとに辿りついた結論として、
今の世界に圧倒的な影響力を施しているアメリカを見、
そしてその実態をまざまざと写真と文章によって見せつけたように、
この書も「自由」や「民主主義」といった価値を世界に広めようとしている
アメリカとはいかなる国かを知る書になりえたのではないだろうか。


僕もうすうすは感じている。
この世をあらぬ方向に持っていっている、
極端な価値観で世界を席巻しようとしている源がアメリカにあることを。
そのアメリカを、僕もいつか見に行かなければならないだろう。

クラウディ(55)
11/10・11のつぶやきかさこで紹介した「世界は幻じゃない」ででてきた、
アメリカに亡命したソ連のペレンコ中尉。
彼をモチーフにして書かれた小説が「クラウディ」だ。
亡命当時、函館に緊急着陸したペレンコ中尉の飛行機を著者が見たことが、 この小説を書いたきっかけとなっている。

高校生だった主人公は、生きていることの虚しさを感じ、自殺を図る。
しかしその時、屋上の上に飛び立った飛行機が、亡命したペレンコ中尉のものだった。
「戦争だ」とはじめ思ったが、亡命だった。

〜亡命〜
その一言が、彼に生きる道を与えたものの、 その後の彼の人生は、単調なものに過ぎなかった。
30才を前にした彼に、周囲の人間は、人生を変えるためにそれぞれの亡命劇を企てる。
取り残された彼は、彼女だけはひきとめようとして話は終わる。
彼が亡命劇を行わないまま、この先どうなるかはわからないところで終わりとなる。

前半は実におもしろかった。
高校生の時にペレンコを見た話。そして自殺しようとした話などは、
自分の実体験をもとにしているせいか、非常にリアリティがあって興味深い。
そして今の単調な生活の中で、次々と登場するユニークなキャラクターが物語の幅を広げていく。

しかし後半になると、ストーリー展開がいい加減になる。
なんだか自爆自棄的でストーリーを急展開させたいのはわかるが、
唐突すぎるというか、話が飛びすぎというか、身に迫ってくるリアリティがないのだ。
亡命というテーマもおもしろい。登場人物も魅力的。
あとは後半のストーリー展開さえよければなという感じだった。

亡命ーそれは逃げて生きる道もあるんだということの一つの方法だ。
がんじがらめになって、切羽詰ってどうしようもなくなってしまった時に、
短絡的に死を考えたり、そのまま我慢して苦しんで生きていくこと以外にも、
生きる選択肢があるのだということを提示している。

もちろん亡命したからといって、今よりよい人生が送れるとは限らない。
でも逃げることも積極的な選択になりうる場合もあるのだ。
しかし主人公は亡命しない。 亡命しないこともまた一つの前向きな選択肢ではある。

あなたに亡命する地はありますか?

・母なる凪と父なる時化(55)
ピアニシモに非常に話が似ている。
ただ舞台が函館なので異国情緒漂いおもしろいということと、
セックスシーンが出てくるところが唯一の違いか。
転校生、似たもの同士の同級生と遊び歩く。
最後に殴られて、社会と若者特有の虚無(ニヒリズム)からの脱却(リアリティ)を図るという、
ニ度目だけにどうだかなあ。

オキーフの恋人 オズワルドの記憶(55)
タイトルが示すように「オキーフの恋人」「オズワルドの記憶」という2つの物語が、
リンクし合いながら同時並行的に進んでいく構成になっているのだが、
もともと「オズワルドの記憶」は「探偵」として週刊誌に連載されていた、
1つの完結した物語で、
本にするにあたり、あとから「オキーフの恋人」をくっつけて、
それに辻褄が合うように「探偵」の方を大幅加筆訂正したというものらしい。
それが露骨にわかってしまうから、ちょっと残念だな。

というのも、この本、「オズワルドの記憶」が圧倒的におもしろいのである。
ところがそのおもしろさをさえぎるように「オキーフの恋人」が挿入され、
しかも微妙にリンクさせるといういらんことをしている。
そんなことしなくてもこの「オズワルド(探偵)」だけで十分おもしろいのに。

そしてさらに残念なことに、「オキーフの恋人」に合わせるためか、
せっかくおもしくすすんでいた「探偵」物語が、
最後にとんでもないどんでんがえしを無理やりさせ、
(主人公だった探偵が記憶喪失で別人だったみたいなことになる)
すっかり興ざめしてしまう。
非常に途中までおもしろかっただけに残念だ。

ハードカバーで上下巻あるんだけど、前半はとてもおもしろいが、後半たるくなってくる。
言いたいことはわかるしテーマもはっきりしていて、
山一證券の倒産、911テロみたいなことが起こる世の中で、
人間の行なう欺瞞の正義を糾弾するカルト教団が力を持ってくるみたいな、
そういうところはまあそうだよなみたいに思うこともあるんだけど、
だんだん後付的な無理やり感を思わせてしまうところもあって、
ちょっと読みにくいかも。

というわけで「探偵」だけを本にして、
最後にむちゃくちゃなどんでんがえしをさせずに普通に探偵物語として終わらせれば、
今までの辻作品には見たことのない、非常におもしろいエンターテイメント小説として楽しめるだろう。

愛はプライドより強く(50)
小説家が書く、小説家を主人公にした小説はほとんどの場合つまらない、
という法則がふと頭をよぎってしまうような小説。
まさしく主人公が小説家(志望)でプライドだけは高いが何もできないために、
愛を失っていくという非常にありがちなストーリー。

でも散りばめられているテーマは悪くはないと思うんだけど、
あまりに日記風に簡単に短く書いてしまうから、余計軽薄で手抜き小説に思えてしまう。
「太陽待ち」といった超長編大作や、
短くても凝縮して実におもしろかった「海峡の光」なんかに比べると、
とても同じ作者とは思えないできばえ。

せっかく僕が「辻仁成はおもしろいよ」と他人に勧めたとしても、もしこの小説から読んだら、
「なんだ、やっぱりあいつはちゃらちゃらした感じの、
所詮、ミュージシャンあがりの女たらし小説家じゃないか」
なんて言われかねない本である。

そういう意味で、ぜひこの作品からは読んではいただきたくないなと思う。
辻作品は実にすばらしくおもしろい小説がいっぱいあるので、
読み始めるときはランキング上位から読んでいった方が間違いないと思う。

・カイのおもちゃ箱(45)
辻君には珍しく400ページに及ぶ長編なのだが、
いらん文章ばかりで、物語は停滞気味で読み進める気がしない。
部分部分はおもしろいし、現代の消費欲望資本主義を批判するテーマは良いのだから、
いらんとこ削ってこれを100ページにしなさい。
そしたらおもしろくなるから。
いつも短すぎて物足りない辻君だが、この作品こそ短くしておもしろみが出るというもんだろう。
何を地迷ったのかな。

・ピアニシモ(44)
海峡の光・白仏と読んできた僕にとって、この作品はまるで別人が書いた駄作。
彼の処女作ということもあるのだろうが、いじめだとか過労だとか引きこもりだとか親ばかだとか、
学校・家族・社会の問題を自分の分身ヒカルという存在によって、二重に浮かび上がらせるわけだが、
少女趣味というかあまりに内容が稚拙でおもしろくない。
こんな作品でもすばる文学賞などというものをもらってしまえるのだから不思議だ。
もし僕がこの作品から辻君を読み始めたら「こいつはつまらないやつだ」と他の本を読まなかっただろうな。
ぜひおすすめしない一作。

・サヨナライツカ(41)
「冷静と情熱のあいだ」以来、なかなかおもしろくてはまっている辻作品だが、
これはつい最近出たものなのだが、つまらなかった。
おもしろい話にしようがあっただけに残念だった。

第一部は、主人公豊が結婚を前に、突然現れた美女と恋に落ちる話。
日本に婚約者がいる間、バンコクで夢のような一時を送る二人。
主人公も婚約者をとるか恋人をとるか迷い、恋人も身を退くか退かないか迷うわけだが、
結局お互い惹かれ合いながらも、別れることになる。

さあこれからどうなるんだろうというところで、第2部になると、突然25年が過ぎてしまう。
もうお互い50歳過ぎで、そこで突然の再会があるわけだが、
もう今更再会したからどうというわけでもなく、その割には若かりし頃の一思い出という以上に、
深刻に愛し合っているという設定がなんとも無理がある。

偶然の再会がせめて5年後ぐらいなら、まだいかようにもストーリーが展開しようがあるのに、
50歳過ぎで再会されても、第一部であれだけセックスシーンばかりを描いていたので、
その再会のなせる意味があまりない。

再会をもっと早くし、どちらを選ぶか葛藤するシーンを描くか、
互いに現状の生活は変えないまでも、頻繁にやりとりがあって、二重生活を25年間続けてきましたとか、
そういったストーリーならおもしろかったのに。

また第一部でもバンコクの2人の仲が知人や会社の人間に知れ渡っていたにもかかわらず、
その噂話が結婚相手の妻に全く知られないというのも不自然。
また妻があまり出てくることがなく、
ただ一方的に恋人の方を褒め上げるのは、物語的に葛藤にはならずおもしろくない。

どうしたんだろう辻君。
昔の作品の圧倒的なおもしろさというより、
人間関係の深さみたいなものがこれには全く感じられなかった。
残念で仕方がない。

それにしても辻君の作品にはやたら不倫相手が出てくるが、
よほど今の妻に不満があるのかそれともしょっちゅう不倫しているのか、
そう思われたりしないのだろうか。

<中山美穂と不倫発覚?!>
やはりというべきだろうか?
週刊誌に中山美穂との忍び愛は報じられていた。
不倫ものを書く人は不倫をしているか、またはしたことがあるかのどちらかなのだろうか。
所詮人間の書くものなんて、何よりも経験したことなのだから。

しかし辻君、お相手が中山美穂とはあんたもやるねえ。