・2001年10月12・13・14日 必読!おすすめ本
実に興味深い本に出会った。
「喪失の国、日本」(M.K.シャルマ著・山田和訳)である。
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。
よく外国人から見た日本体験記で、ただおもしろおかしいものならいっぱいあるが、
この本が類書と違うのは、日本の社会のあり方に対しての指摘が、実に示唆的なのだ。
それはこの著者が、高度な教養と問題意識を持っていたからだろう。
この本を21世紀に日本の社会構造改革の参考書の一冊に加えたいぐらいだ。
インドに詳しい訳者が序文で、この本の狙いをこう語っている。
「日本人旅行者や滞在者が、インドで味わうあの強烈な文化的違和感(カルチャーショック)を、
日本を訪れたインド人もまた逆のベクトルで感じることは疑いないと思ったからである」
まさしくその狙い通りの本となった。
その中で今回は、日本特有の文化的差異を感じたことからの日本に対する有益な示唆ではなく、
西洋的価値観に対する実に的を得た示唆を紹介します。
●市場調査会社に勤める彼が日本に派遣された理由について
「雑誌に載っているような日本経済の最新情報ではなく、
これからつき合う国との文化的ギャップがどのようなものかを知ることだ。
理解を超える部分や感覚の実態を知ることが、相互理解の可能性につながる」
インドネシアの味の素が、豚の成分を使っていたということで、
イスラム法に触れるという問題が今年起こった。
またマクドナルドのポテトの成分についても同種の問題が起こっている。
異文化に対する無理解が、暴動にまで発展したりする原因となるのだ。
相手の感覚的な部分を理解せずに経済進出するから、トラブルが絶えないのだろう。
●経済の繁栄について
「外資の導入による繁栄は、じつはみせかけの繁栄にすぎないのではないだろうか。
「近代」という概念は、欧米がアジアに押し付けたエゴイズムに過ぎないのではないか。
幸福の意味について近代的な価値観で解釈しすぎる。」
アメリカがあれだけイスラム教国から恨まれるのは、
アメリカ的価値観を一方的に押し付けようとしているからではないだろうか。
●はじめて国際線の飛行機に乗った時に、アメリカ映画を見て
「インドが市場開放の路線を選択したということは、近い将来、
このような映像(アメリカ映画)にさらされるということだ。
おそらく保守的な人々による放送局などへのテロが起きるのではないか」
先進国では当たり前のように垂れ流されている過剰な映像。
暴力シーンやセックスシーンなど。
所変われば、これだけでテロの対象となるぐらい、反動的に映るのだ。
●これからインドが近代化をめざすにあたって
「愚かで貪欲な人は、平和を求めるがゆえに経済発展を望み、
経済発展を望むがゆえに政治力を求め、政治力を求めるがゆえに軍事力を高める。
その結果、幸福を得るために集められた金は、再生産しない兵器の購入に消えてしまう。
今の世界がこの無意味な「大口消費」を最終段階とする構造を持っている限り、
幸福のための資金はいつまでも無限の闇に吸い取られていく」
アフガニスタンへの空爆をしているアメリカに対して、テレビである評論家がこんなことを言った。
「一番バカを見ているのはアメリカ国民だ。湾岸戦争にしても今回の空爆にしても、
莫大な税金が意味のない人殺しのために使われている」
戦争をでっちあげ軍需産業に税金を投入して賄賂を受け取る。
再生産しない兵器というのは、民衆の幸福を圧迫していることに早く気づくべきだ。
●自由について
「21世紀に入って、人々は「絶対的な自由」が「決定的な悪」を社会に誘い込むのを見、
自由を語るものが最も危険な(ファッショ)な人物であることを知る。
壮大な自由の実現とともに壮大な悪が不可避的に跳梁し、
忌まわしい悪の華が地上最後の華を咲かせ、人類は破滅に向かう」
まるで今のアメリカを予言しているかのような言葉だ。
「自由のために戦い」と称するアメリカの軍事行動によって、
戦争は単に対テロリストにとどまらず、罪のない一般市民を巻き込み、隣国に紛争の種を撒き、
様々な産業にダメージを与え、そしてさらなるテロの恐怖に全世界を巻き込んだ。
この本が書かれたのは10年ぐらい前だが、こうして本文を抜粋してみると、
今の世界構造を理解するのに示唆的なことが、よく散りばめられている。
西洋的価値観を持たないインド人からの指摘は、
イスラム教国の根強い反米感情を理解するヒントとなるのではないだろうか。
● 激辛20倍カレーを食べる(1)
インドとは何の関係もない別種の料理である。
はっきりいって、これは食べ物ではない。食事でさえも辛さを競い合うゲームになっている。
ここはレストランではなくゲームセンターだということに、もっと早く気づくべきだった。
日本という国は、実に外国文化をねじまげるのがうまい。
本場インド料理なんて真っ赤な嘘。
どうしてこうも勝手なイメージが、一般的に普及してしまうのだろうか。
インドのカレーが辛いなんて、一体どこの誰が言ったんだ?
それにしても、激辛や大食いといったもので客をおびきよせようという店が
まかりとおるこの国は、ほんと傲慢だと思う。
しかし足元をよく見れば、食料を自給自足できない国だという危機意識を持っているのだろうか。
●激辛20倍カレーを食べる(2)
いくら辛くしても唐辛子の量などたかがしれているのに、
日本では20倍カレーに200円も追加しなければならない。
この国の価格はほんとおかしい。
どこもかしこも、金を騙し取ってやろう、少しでも楽して儲けようという態度が、
目に見えて表れている。
●日本文化を象徴する言葉「結構です」
「たいへんいいのでください」という意味と、「よくないのでいりません」という正反対の意味を持ち、
状況に応じて、あるいは微妙な抑揚によって使い分けられる。
驚くべきことに、日本人でさえ、しばしその意味を取り違えるという。
そのように曖昧で厄介な言葉が日常で使われる。
それはおそらく日本文化が「相手の心を推し量る」ことに価値や美意識を見出しているからだと思われる。
日本人の曖昧さ。
それはプラスとマイナスの両方の面がある。
僕は日本人がこの「曖昧さ」を捨てて、ドライな西洋人になる必要は全くないと思う。
ただし外国とつきあう時には、この曖昧さが通用しないことは知っておくべきだ。
●国民の祝日に国旗を掲げる習慣について
何も知らない外国人がその光景を目にしたら、
クーデターが起きて新しい国が誕生したと勘違いするかもしれない。
日の丸を掲げる行動が、これほどまでに誤解される可能性を秘めている
ということを日本政府は知って、学校に日の丸・君が代を強制しているのだろうか?
●マンション住まい
マンション住まい初日に廊下で朝日を楽しんですっかり気に入った私は、翌日からテーブルを出そうと考えた。
朝日を祝して線香を廊下に焚いたら、それが物議をかもした。
その日のうちに管理人を通じて管理組合からクレームがきた。
確かに集合住宅という特異な形式においては、
他人との共同生活のために、住人の行動は規制される。
きっと管理人は目をひんむいて、注意しにきたのだろうな。
インド人だけというだけで、きっと変な目で見ただろうし。
マンションなんていうと格好良い響きがするかもしれないが、ようはブタ箱だよな。
●スーパーマーケット初体験
なんといっても驚いたのは、キャベツもにんじんもキュウリもなすも、
染み一つなくぴかぴかに輝いていたことである。
どの野菜も工場で作った製品のように形と大きさが統一され、まるでプラスティック製品のようにみえた。
どういうふうに栽培するとそうなるのか、私にはわからなかった。
見た目を重視し、植物を薬品漬けにして作り上げた人工野菜。
見た目が不格好であっても、自然そのままの方がいいものに違いないのに。
こうして外見重視の構造が人々に刷りこまれ、汚物蔑視がなされるのだろう。
汚いもの・醜いものを抹殺するのはなく、それを受けいれる寛容さがこの社会にはない。
●アウトドアブーム
自然を愛する行為が、自然を破壊するのは皮肉なことだが、
豊かさの意味を消費と欲望に結びつけているからだろう。
自然を楽しむレジャーに、金をかけ、道具に凝り、重装備していく人々。
でっかい車に乗り込んで、物に囲まれてちっとも脱都会ではない。
にもかかわらずゴミだけは置いていく無責任さ。
自然を汚すことは自分を汚すこと。
「アウトドア」なんてかっこつけても、管理されたコンピュータゲームと大差はない。
●木の美学
日本人は、この二千年、何を作るにも木を用い、木と向かい合って生きてきた。
木と相対する無限の時間の中で、人生と美を学んだ。
一体いつから日本は、木の文化を捨てコンクリートの奴隷と成り果てたのだろうか。
凶悪犯罪が増え、社会が殺伐としているのも、
こういったことが大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。
●サイン
日本人はサインの意味を理解していない。
契約に際して不可欠とされる日本的サイン「ハンコ」が、同じものが町で売られているのだから。
よく考えてみればおかしな話。
自筆のサインは偽造のしようがないが、ハンコなら簡単に買ってこれるし偽造できる。
西洋社会のしきたりにそって「サイン」を導入したものの、
もともとそういう社会習慣がなかったから、ハンコという、
本来のサイン制度にはあってはならないものがまかりとおってしまったのだろう。
おかしいよ。ニッポン!!