・2007.2.3保手濱彰人氏参加ビジネスコンテストレポート
(2007.2.4up)
・2006.2.26保手濱彰人講演会レポート
(2006.2.28up)
・“ホリエモンのかばん持ち”保手濱彰人氏インタビュー (2006.2.5up)
「ホリエモンのがばん持ち」にして「現役東大生・起業社長」、
しかもかなりの「イケメン」と来れば、
今のマスコミが放っておくわけがない。
「がばん持ち」の様子を一瞬、テレビで見て、彼を知った時、
マスコミナイズされたメディア受けする彼の「虚像」に疑問を覚えた。
「ホストみたいで今風のチャラチャラした感じで、
いかにもテレビに出るためにホリエモンのかばん持ちをした」
と捉えた人も少なくはないだろう。
彼は、本当はどんな人なのだろうか?
その「実像」を知りたいと思い、
2006年2月4日に、彼のオフィスでインタビューした。
●1:テニスの夢を諦め、出会った天職が起業だった
現在、彼は東大工学部2年生。
現役東大合格するも、2年留年。
すでに起業していて仕事が忙しくなったから留年したわけではない。
彼は、自分の道を探しあぐねていたのだ。
「中学・高校とずっとテニスをやっていて、プロのテニスプレーヤーになりたいと思ってたんです。
大学に入ってからもテニスを続けてきたけど、この世界で一番になるのは難しいかなと。
それでテニスに変わる別の道をいろいろと模索していたんです」
彼は何事も徹底的にやらなければすまない、超凝り性的性格。
テニスを辞めた空白の時間を、たとえばTSUTAYAでCD100枚借りてきて、
あらゆるジャンルの音楽を聴いてみたり、毎日1本映画を見続けるといったことをして、
何か手掛かりをつかもうとしていた。
そして、「よし、今度は英語だ!」とTOEICで900点取ることを目標に、
3ヵ月間、英語勉強漬けの生活を送ったりもした。
しかし、彼が「これだ!」と思えるヒントになかなか出会えなかった。
そんな彼に一冊の本との出会いがあった。
『ブログではじめる!ノーリスク起業法のすべて』(丸山学著)。
それを読んで彼は「これだ!」と思ったという。
「起業して自分でビジネスをすること。これこそ僕の探し求めていたものじゃないか。
霧が晴れるような思いでしたね。
この世界だったら自分が一番になれる。
この本をきっかけに、起業に関する本を読んだり、情報収集をはじめたんです」
凝り性の彼に、新たな凝る対象物が見つかったのだ。
●2:起業サークル立ち上げと算数教科書プロジェクト
とにかく起業することを考えると楽しくて仕方がなかったという。
「さあ寝ようと思って布団に入っても、
こんなビジネスプランはいいんじゃないかとか、事業計画はこんな風にしようとか、
どんどんアイデアが出てきて、もう興奮して寝るどころじゃなかったですね。
思い浮かんだアイデアは、すぐ枕元に置いてあった携帯電話にメモしました。
俺ってすげえなー、こんないいプランいっぱい思いついたよとか思いながら。
まあ、今、振り返ってみると、その時のプランはたいしたものじゃないですけどね(笑)」
しかし、いざ起業をしようと思ってみても、何から手をつけていいのかわからない。
そこで彼は考えた。『起業サークル』をつくろうと。
「自分一人だけでやるより、起業したい仲間を集めて、
一緒に勉強したり、お互いに刺激しあうことで、いい意味で相乗効果になると思ってたんです」
2005年4月、起業サークルTNKを立ち上げた。
今でこそ起業サークルは多くあるものの、当時はそんなサークルはなかったため、
試行錯誤を繰り返しながら、活動を進めていった。
勉強会などをしていくなかで、1つのプロジェクトが6月にはじまった。
算数教科書プロジェクト(『東大生が書いた頭が良くなる算数の教科書』の出版)である。
このプロジェクトは、今後の彼の事業内容に大きく関わっていく、その出発点となったもの。
彼が2005年12月に設立したホットティー株式会社の事業の柱となっているのが教育。
教育を選んだのは、東大という、いわば現在の日本教育を「制した」ノウハウと経験を活かせる分野だから、
ということだけでなく、彼には教育に対する純粋な強い想いがあったからだ。
「中高と進学校にいましたけど、つまらなくて、わかりにくい授業が多かった。
義務教育は日本国民全員が受けるもの。
にもかかわらず、教え方は下手だし、志の低い教師がやっているって、
どう考えたっておかしいじゃないですか。
教師『でも』いいか、教師『しか』なるものないなといった、
『でもしか』教師ばかりで、教えることに情熱を傾ける人が少ない。
これはまずいと思うんですよね。
教育を楽しくておもしろいものにしたい。
勉強するのが楽しくなるような教科書をつくりたい。
そんな想いからはじまったのがこの『算数教科書プロジェクト』なんです」
「最近のニンテンドーDSの『脳を鍛える大人のDSトレーニング』などの大流行に見られるように、
物質的充足に満足した日本人の多くが精神的充足を求めるがごとき、
大人向けの教育ゲームに夢中になっているじゃないですか。
そういう類のコンテンツの1つとして、僕らが考えたのが算数教科書だったんです」
日本人の半分以上は算数が嫌い、苦手だという。
教え方が悪いから興味を失わせてしまう。
そんな教育では日本社会に未来はないと、彼は考える。
「『東大生が書いた頭が良くなる算数の教科書』では、
苦手意識のある算数に触れるきっかけを与え、
ちょっとした脳の活性化となればと思ってつくりました。
別にこの一冊読んだからといってすぐに頭がよくなるわけじゃない。
でも、脳が刺激され、頭が活性化される一つのきっかけになってもらえたらうれしい」
教科書作りで大変だったのは、いかに簡単にするか。これに苦心したという。
一度、原稿をつくってみたものの、難しすぎてやり直したという。
学ぶことを楽しいものにしたい。
それが彼の信念であり、彼がビジネスの主軸として据える教育コンテンツ事業のコンセプトなのだ。
●3:転機となった経済産業省「ドリームゲート」で最優秀賞〜ホリエモンのかばん持ち
起業サークルを立ち上げて半年後の9月。
大学のテニスサークルの先輩から「DREAM GATEに参加してみないか」といわれ、参加することになった。
DREAM GATEとは、経済産業省が後援する、起業・独立支援プロジェクト。
起業に興味を抱く学生や主婦、会社員などを対象に、さまざまな情報提供やイベントの開催を行っている。
その中で、「起業家かばん持ち選考・関東大会」に参加することになったのだ。
彼は、この大会を目標にして起業サークル活動をしてきたわけではなかったし、
偶然、先輩の誘いを受けて知っただけだったので、
大会当日は、かなり眠くて大変だったという。
しかし、この大会参加が彼の運命を大きく変える出来事となったのだ。
大会は面接官1人と学生2人のグループ面接と、30秒間プレゼンの両方の採点で優劣が決まる。
彼は「世界一の企業をつくるために、起業サークルを立ち上げ、これまで活動してきた。
その自分のリーダーシップを活かして、
起業・ビジネス展開をしていきたい」といったようなことを述べたそうだ。
「デカイことばかり言ってたんで、表彰式ではいつまでたっても名前が呼ばれず、
これはダメだったのかな、さっさと家に帰って寝たいな、なんて思ってたら、
最後の最後、最優秀賞で名前を呼ばれたんです。それはすごくうれしかった。
僕がこれまでやってきた活動が認められたと思うし、
今後、起業をする上での大きな自信になりました」
大会後に、2泊3日で関東大会参加者117名による合宿が行われた。
ここでのグループディスカッションなどの様子を踏まえた上で、
それぞれの学生が起業家社長の“かばん持ち”として配属される。
ライブドア・堀江貴文社長のがばん持ちは人気が高かったが、
彼がその座を射止めることになった。
ホリエモンのかばん持ちは2005年10月20日〜26日まで。
しかし彼の存在などまったく目に入らぬ堀江氏。
素っ気のない態度でまるで相手にしてくれなかったという。
しかし、がばん持ちの後に行われることになっていた事業プレゼンで、
彼ははじめて堀江氏とまともに話ができたそうだ。
「当初、事業プレゼンは、ライブドアのポータルサイトのアクセス数を2倍にするにはどうしたらいいかという、
その課題に対する意見を述べるものでした。
しかしあれこれ考えたところで、いい案は浮かんでこない。
第一、これまで事業を行ってきたプロに対して、
まったくの素人である僕が、あっと驚くような話ができるとも思えない。
そこで僕は、当初の事業課題に対する意見をやめて、
自分の教育事業のプレゼンをすることにしたんです」
40分間のプレゼン。ライブドアの広報も驚くほど、
堀江氏は珍しく、彼の話をよく聞き、いろいろとアドバイスをしてくれたという。
そして100万円の出資を約束してくれたという。
「堀江社長がいろいろとこうした方がいいんじゃないかといったアドバイスは、
今の教育事業にも生きています。
がばん持ちでは、中身のないただの学生ぐらいにしか思われなかったのでしょうが、
プレゼンではじめてまともに話をしてくれたのは、とてもうれしかったですね」
●4:会社設立、渋谷のボロアパートから世界一をめざす
「自分に向いているのはやはり起業だ」と確信を深めていく保手濱氏。
ホリエモンのがばん持ち後から着々と準備をはじめ、
2005年11月末に、会社の拠点となるアパートを渋谷で借りた。
渋谷駅から徒歩10分。華やかなショッピング通り沿いから一歩入り、
円山町のラブホテル街の一角にある古いビルの1階。
物置きのような2畳ほどの部屋とメインとなる6畳の2Kの間取り。
ユニットバスもついて、なんと家賃85000円という格安物件だ。
今まで大田区の自宅で家族と暮らしていたが、
最近は帰る機会も少なくなり、渋谷のアパートが彼の住まいともなっている。
ドンキホーテで買ってきたという、空気を入れて膨らますベッドで寝る生活。
2005年12月に、ついに会社設立。
ホットティー株式会社代表取締役社長に就任した。
※社名は名字が「ほてはま」ゆえ「ほってぃー」と呼ばれることから、きているものだろう。
そして、起業サークルからのプロジェクト「算数教科書」も、ついに2006年1月に出版・発売された。
教育をよくしたい。変えていきたい。
その想いから事業の柱を教育に据える。
「次の教科書プロジェクトも動いていますし、塾経営やセミナーの話などもあります。
算数教科書の携帯サイト化など、今は、教育コンテンツ制作会社として、
事業を展開していきます。もちろん、それだけにこだわらず、
関連するビジネスは積極的に広げていくつもりです」
なぜ在学中に、しかも2年留年していて単位がちょっとやばい?状況で、
会社を設立したのだろうか?
「東大ブランドを最大限に活かすためです。
起業サークルの活動を行っていく中で感じたこと。
それは名刺に東大と書かれているだけで、ものすごい効果があるんです。
初対面の人に自分がこれまでやってきたことなど説明しなくても、
現役東大生ということだけで、すごくよく見てくれる。
この東大ブランドを活かさない手はない。
だから在学中に会社を立ち上げたんです。
『現役東大生社長』という肩書きを使えればビジネスがスムーズにいきますから」
東大ブランドの効果についてはホリエモン著の『稼ぐが勝ち』でもしっかり語られていた。
それだけ日本人の学歴信仰、特に東大に対する過剰な畏怖に近い思いが根付いているということだろう。
現在社員はすべて大学生。
東大生だけでなく、他大学の学生も社員になっている。
「今、しっかりした給与を払える状態ではないですけど、
自分たちの頭の中にある知識をうまく活用して、コンテンツをつくっていく仕事が主ですので、
出ていく経費は家賃ぐらいなので、今のところお金の心配はありません」
●5:ホリエモン逮捕で注目されるが、社会貢献世界一めざして邁進中!
現役東大生社長のもとに、思わぬニュースが入ってきた。
かばん持ちをした堀江貴文氏の逮捕のニュースだ。
それによって、保手濱氏のメディアの“扱い”も変わってきた。
1週間しかかばん持ちをしていないのに、
「堀江チルドレン」というそれらしいキャッチが横行し、
同じ東大出身で現役時代から起業ということもダブらせてか、
まるで次なるホリエモンの誕生かのように、取り上げているところもある。
ホリエモン逮捕による別の意味での注目度が高まる中でも、
本人はいたって冷静に受け止めているようだ。
「僕は世界一になりたいと公言しています。
世界一の人間になりたい。世界一の企業をつくりたい。
でも堀江氏の『時価総額世界一』になりたいとはちっとも思わない。
僕がめざすのは『社会貢献世界一』。
世界一多くの人を幸せにして、世界一多くの人を不幸から救い出す。
それが僕の考える世界一。
社会に価値あるものを提供していけば、それに自然とお金がついてきて、
それがビジネスになると思っています」
3年後に東証マザーズ上場という目標を掲げていることに対しては、
「上場して市場から資金を調達した方が、
世界一多くの人を幸せにする価値あるものを提供していけるからです。
僕の行動基準はすべてこの『世界一』。
それに合っているかどうかで、何をすべきかを考えています」
30代の団塊ジュニア世代を代表するホリエモンが、「創造的破壊者」となり、
閉塞した日本の壁を次々と打ち破ってくれた。
その一回下の世代、パソコンやケイタイが当たり前の若き世代が、
破壊の後の創造をなしとげてくれるのかもしれない。
世界一をめざす現役東大生社長・保手濱彰人氏の活動を、
これからもレポートしていきたいと思った。
・保手濱彰人氏インタビュー2(2006.2.7up)
保手濱彰人氏がなぜ「ホリエモンのかばん持ち」になり、
なぜ現役東大生で起業をめざし、在学中に会社を設立したのかは、
前述のインタビューで紹介したので、彼のアウトラインはだいたいわかっていただけたと思う。
「インタビュー2」では、彼の人となりがわかるエピソードなどを中心にしながら、
彼の一旦に迫りたいと思う。
●在学起業へのモチベーションは何か
私が保手濱氏について一番知りたいなと思ったのは、
なぜ彼が在学中に起業、会社設立という、「大変な」道を選んだのか、
そのモチベーションとなっているものだった。
「東大」というブランドがあれば、就職を含めたこの先の進路に困ることはないだろうし、
これまで受験勉強の時間に拘束され、やっと大学に合格したのだから、
起業なんて面倒なことはせずに、ラクして楽しむ誘惑も大いにあったはずだ。
確かに、今の大学生にとっては、マスコミで騒がれているヒルズ族やITベンチャーなどの、
若くして成功する経営者たちに惹かれて、起業をめざすことは珍しくないのかもしれない。
しかし、彼の場合は、そういう側面もなさそうだ。
そもそも起業なんて選択肢を2005年2月以前には考えていなかったようだし、
「堀江さんは近鉄買収の名乗りを上げた時に名前を知ったぐらいの認識」程度で、
別にそれをきっかけにベンチャー企業に興味を持ったわけでもない。
ひょっとしてお父さんが会社員ではなく個人で会社をやっていることから、
会社をつくって自分で商売をすることにどことなく慣れ親しんできたのかなと思いきや、
「親の仕事の話とかをこれまで聞いたこともないし、
親も詳しく話すようなことはなかった」という。
「副代表の高橋は両親が起業家で、小さな頃からいろいろと経営学を教わったらしいけど、
僕にはぜんぜんそういう要素はない」という。
もしかして、何か大きなコンプレックスから、それをバネに、
何か大きなことをしでかそうというモチベーションが生まれたのかとも思ったが、
彼の話を1時間聞く中で、まったくそういったことは見受けられなかったし、
念のため質問してみたが「いやー、まったくないですね」とのこと。
でも何か駆り立てるものがなければ、ラクな大学生活を投げうってまで、
会社設立して仕事なんかしようとが思わないだろう。
いろいろな話を聞いていくうちに、ある2つの答えと思しきヒントを得た。
「オタク世代とは違う超凝り性的性格」と「『孤独』(一人遊び)からの脱却と連帯感による成功体験」だ。
●オタク世代とは違う超凝り性的性格
彼が起業をめざしたのは、インタビュー1で紹介したように、
一言でいえば、「テニスを諦めて新たな目標を起業においた」ということだろう。
テニスを諦めた後、CD100枚借りてきたり、映画毎日1本みたりと、
とにかく何かハマっていないと気がすまないというか、
1つのことを徹底してやらないと気がすまないタイプなのだろう。
だからこそ、東大にも現役合格したのだろう。
しかも、その集中力が半端ではない。
彼が「自分の長所はプレッシャーをかけられた時の集中力」というように、
ここぞとばかりの時の集中力はすさまじい。
たとえば、彼は現役東大合格だが、高校3年生の時、
成績は250人中200番代だったという。
しかし、なぜか彼にはいつも「根拠のない自信」があった。
だから「東大合格してやる」と周囲にいいふらすことで、
逆に自分にプレッシャーをかけて集中力を高めたという。
「これで落ちたら格好悪い」と。
こうして彼は、根拠のない自信力と持ち前の集中力で、
これまでの人生でやりたいことは成し遂げてきた。
その2つの力を使って、起業という新たな目標に注げば、
周囲から見ればすごいことでも、彼にしてみればなんてことはなかったのかもしれない。
「小さい頃から常に上をめざしたいっていう意識だけはありましたから」
徹底してこだわれるという意味では2つのエピソードがおもしろい。
中学校だった頃、彼がハマったものだ。
サボテンのコレクションと、ウルトラマンシリーズの「オタク」ぶりだ。
サボテンの魅力にとりつかれた時期があったらしく、
家の屋上に自分で庭園をつくって、時には1鉢2000円もするような、
サボテンを買ってきたりとかして、コレクションを飾っていたという。
ウルトラマンは「ウルトラマンティガ」のテレビを見てハマってしまったという。
「中学生にもなったのに、なぜかウルトラマンティガがすごくおもしろくって、
同じビデオを6回も見たりとか、絵本やミニチュアを買い揃えたりとか、
他のウルトラマンシリーズに調べたりとかした」というほど。
中学生の頃から、何かにハマりだすと止まらない、超凝り性的性格なのだ。
と、いうことは、ひょっとすると起業、会社設立、ビジネスは、
ホリエモン的なるゲーム感覚なのかと思って、「ゲームはよくやったか?」と聞くと、
「よくやった」という答えが。
「ゲームはスーパーファミコンがストライクゾーンで、ニンテンドウ64とかもよくやった。
ドラクエとかファイナルファンタジーとかロールプレイングは好きじゃなくって、
マリオカートとかポケモンとか対戦ゲームが好きだった」
今はゲームはしないが、ゲーム雑誌のファミ通は必ずチェックし、
ゲームソフトランキングだけは見るようにしているという。
でも、彼は、ホリエモン世代のゲーム感覚的人生観仕事観は持っていない。
「僕らはホリエモンさんたちのようなオタク世代ではありませんから」
その一言で私ははっとさせられた。彼にはゲーム感覚的な価値観はないんだなと。
確かに、今の30代前半の世代は、どっぷりファミコン世代で、
誰もが未だに嬉々としてファミコンゲームのことを語るし、
Windowsの登場によるパソコンの爆発的普及や、パソコン通信からインターネットへといった具合に、
自分たちの年齢の成長とともにIT革命の先駆けを真っ先に取り入れた若者世代の代表格だ。
しかし、21歳の彼は違う。ホリエモンとは一回りも違う。
ある意味ではパソコンも携帯電話もインターネットも当たり前の世代。
もうすでに物心ついた時にはすでに社会のインフラとしてITがあったわけで、
ホリエモン世代のように、ITを先取りしたオタクがファミコンゲーム感覚で、
それをビジネスに置き換えていくといった価値観とは異にしていることだ。
私は旧世代VS新世代というくくりで、ホリエモンVS主に60歳以上の老害世代という構図で、
社会を捉えてきたが、ホリエモンすら旧世代の感覚といわしめる新世代が、
こうして今どんどん社会の桧舞台に立ち始めているのだ。
この世代間ギャップもしっかり抑えておく必要があるなと思った。
だから彼は何事も徹底してハマるけど、オタク世代でもないし、結構ドライだし、
物事に対する執着への柔軟性があるような気がした。
ホリエモンしかりサイバーエージェント藤田社長しかり、
彼らはある意味では、団塊世代や現社会へのフラストレーションをバネにしているところもあるわけだけど、
保手濱氏にそれはあまり見受けられない。
唯一あるとすれば、おかしな現状の教育業界を変えたいという想いは、
確かに大きな原動力にはなっていると思うが。
●『孤独』(一人遊び)からの脱却と連帯感による成功体験
こうして彼の凝り性的性格により、起業へと突っ走っているわけだが、
20歳までの彼とは実は大きな違いが1つある。
それは、一人でやるのではなく、みんなでやっていることだ。
起業サークルの立ち上げとその活動しかり、会社設立しかり。
一人で集中してやれば済むものではない。
多くの仲間を巻き込んで、彼らとともにやってきた。
それが今までの彼とは決定的に違う。
それを彼はこう表現した。
「これまでの人生は『孤独』だった」と。
「孤独」という言葉を勘違いしないでほしいのだが、
言い換えるとするなら、「一人自己完結型」だったということだろう。
サボテンもそう、ウルトラマンティガもそう、テニスもそう。
現役東大合格もそう、CD100枚借りて聞くこともそう。
基本的に彼が成し遂げてきたことは、自分一人でできることに限られてきた。
「弱音もグチも言わないし、一人でいいと思っていたし。
っていうか、基本的に自己チューだったんでしょうね」
しかし、起業に出会い、起業サークルを立ち上げ、そして会社設立していくプロセスの中で、
彼はこれまで味わったことのない、苦楽を共にする仲間との達成感を味わったのだ。
それは一人で何かを成し遂げる達成感とは根本的に違っていた。
だからこそ、彼は去年を振り返ってこうブログに書いている。
「人生で一番大変な一年間でしたが、人生で一番幸せな一年間でした」と。
東大合格は自分一人でがんばればできることだが、
サークル運営や仲間との会社設立はそういうわけにはいかない。
だから「一番大変」だったのだろうが、その代わり一人遊びでは味わえない、
仲間とともに成し遂げる達成感から「一番幸せな一年間」と言わしめているに違いない。
「(起業を含めた一連の)活動を通じて、いろんな人と出会い、深いつながりを持てて、
多くの仲間ができた。人と人とのつながりをすごく感じられた。
いい仲間といい時間を過ごす。こんなに楽しいことはない」
彼が起業を一人でめざしていたら、まだ実現は先だったかもしれない。
彼はこれまでの「孤独」から脱して、みんなでやり遂げた成功体験をはじめて手にした。
だから彼は今、ビジネスが楽しくて仕方がない。
モラトリアムなお気楽学生生活なんかより、はるかにおもしろい、自分の打ち込めるものを見出した。
だから彼は今、すごく輝いているし、充実しているのだと思った。
テニス以後、何をしていいかわからなかった期間があっただけに、
彼は今こうして打ち込んでいる活動があって幸せで楽しいことを、
同年代の無気力な若者たちにもメッセージとして伝えていきたいと考えている。
「自分が一つの成功モデルとなって、みんながんばってくれればいい」と。
●常にポジティブなのは?
彼にどうしても聞きたいことがもう1つあった。
会う前に彼のブログを見ていたが、どれもすごくポジティブなのだ。
当然、ホリエモンのかばん持ちでイケメン現役東大生とくれば、
出る杭は徹底的に打ち、妬み社会の日本では、
あることないこと批判する輩も当然いるようだが、
彼はそれに対する憤りや批判めいた文章もなく、
すごく前向きでポジティブな言葉にあふれていることに、正直驚いていた。
これがもっと年をとってくれば、そういう周囲の雑音が無視できるようになるのだろうが、
彼はまだ21歳である。
テレビに取り上げられたことで、また、ホリエモンが幸か不幸か逮捕されたこともあり、
そういう批判者に対してもポジティブでいられるのはなぜだろうかと不思議に思っていた。
「はじめはへこみましたよ。ネットとかで批判されたりすると。
でもそれを気にしていても仕方がないし、それを乗り越えられなければ、
目標とする世界一の人間になれないだろうし、
もともとすごく楽観主義で、嫌なこともすぐ忘れられる方なんで、
今は気にしないようにしています。
誹謗中傷とかイチイチ気にしないようにって、父親とかからもアドバイスを受けてますし」
さすがは世界一を目標と公言する男だけはある。
21歳の若者にしてはなんだかとても頼もしいなと思った。
●保手濱彰人関連リンク
渋谷で働く学生社長の激白 〜世界一熱いブログ(?)〜
ホットティー株式会社
起業サークルT.N.K.
●取材こぼれ話
・彼の名刺を渡されて驚いたことがある。
別に奇をてらったへんてこな名刺だったわけでもなく、
なにかユニークな形をしていたわけでもない。
点字入りの名刺だったのだ。
「さすがは目の付け所が違う」と取材はじめから思った。
・マンガは欠かさず
「モーニング」と「スピリッツ」は必ず毎週買って読んでいるらしい。
ちなみにあまり本は読まないとのこと。
「難しいのは嫌いだし、コツコツ勉強するのも苦手」が原因か。
おもしろかった本は、村上春樹「羊をめぐる冒険」、堀江貴文「100億稼ぐメール術」など。
・映画や音楽はなんでもわりに幅広く見たり聴いたりしているようだが、
せつない映画や失恋ソングがお気に入りらしい。