・「別冊宝島Jポップ批評桜井和寿イノセントワールド大全」批評
今、書店の音楽雑誌コーナーには、宝島から出た桜井大全が平積みにされている。
ミスチルフリークたる僕はもちろん買った。
全部読んだわけではないが、よく調べているわりに批評が的外れなところが多くて残念だが、
その中でも唯一的を得た批評の考察をしたい。
無邪気な「メメント・モリ」。
この批評には賛成である。
まあ桜井君というのは、他の人気アーティストとは違って、
カリスマでもなく神でも教祖でもなく、ただの等身大の人間であるから、時には失敗もする。
桜井君の犯した失敗の一つが、確かにここで指摘されているように、
シングル「花」の副題につけた「Memonto Mori」である。
シングルが発売された当初、この「Memonto Mori」なる意味を僕は全く知らなかった。
その後たまたま藤原新也にはまるようになって、
著作をよみあさっている時にぶちあたったタイトルが「メメント・モリ」であった。
その意味は、ラテン語で「死を思い起こす」といった意味である。
この「メメント・モリ」つながりで、藤原新也と桜井和寿がなんと対談していることに驚いたわけだが、
確かにそれを読むと、桜井君が深く意味を考えてこの副題をつけた様子はない。
僕は、桜井君も藤原新也も両方とも好きだが、
無骨な藤原新也と現代社会の苦悩を背負った若者の申し子桜井君の意外な組み合わせを、
うまく結びつけることはできなかった。
あまりに立場が違うし、スタンスも違うからだ。
藤原新也の「メメント・モリ〜死を想え〜」はまさしくそのタイトル通りの内容だ。
彼がインドのガンジス川で死体を撮りあさって金をもらっていた頃、
死体を見続けることによって得た「メメント・モリ」。
現代ニッポンのマスコミを震撼させた、犬が人間の足を食う写真と、
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というキャッチコピーが象徴するように、
まさしく人間のあっけない死をみつめる作業がこの「メメント・モリ」なのだ。
それだけの深い意味からすると、ミスチルの「花」の副題にはふさわしくなかったのは事実だ。
「花」は実に奥深く、味のある曲であるとは思うが、テーマは「メメント・モリ」ではない。
またこの本で批評しているように、桜井君に「メメント・モリ」を経験しているような出来事はない。
むしろ、虚像の世界で踊り狂う虚しいロックスターと、
現実の狭間で思い悩んだ末に、自分の道を見つけていくみたいな、
死を想うことより、どん底に落ち込んだ中でどう生きていくかということが彼のテーマであり、
それが現代人の共通するテーマであるからこそ、これだけ売れているのだと思う。
つまり「メメント・モリ」=藤原新也の「死」とは、肉体的・物理的「死」であり、
桜井君がテーマにしているのは、心の「死」であり、精神の「死」
というか、虚像社会の中で踊らされる捕われの身からの脱出である。
だから確かに「花」にメメント・モリを副題にしたことを、「無邪気だ」と批評されても仕方がない。
それをしってかしらぬか、昨年発売された優しい歌のカップリングに入った「花」の別バージョンには、
メメント・モリの副題が取られている。
桜井君がメメント・モリをテーマに歌を歌う必要は、あまりないと思う。
肉体的死の知覚は、知人の死で誰もが感じることができるが、虚像社会の中での精神的に死んでいる若者たちに、
生きていく道を探ってやることこそが、ミスチルの、桜井君の使命であるように思うからだ。
・「別冊宝島Jポップ批評桜井和寿イノセントワールド大全」批評2
「名もなき詩」を「強引な押韻にやはり異議あり」と論評。
ダーリンに対して「君は誰」(誰をダーリと発音)、ノータリン、悩んだり、わだかまり、夢物語と、
立て続けに韻を踏んでいることに関して、解せないと評しているが、
これは桜井君の良さをまったくわかっていない、素人論評だ。
桜井君の魅力は、これだけメガヒットを連発した超人気バンドボーカルにもかかわらず、
消費者(聞き手)に迎合しないことと、一般的ヒット曲へのアンチテーゼを含みつつ、
「かっこいい」というイメージに対する裏切りを常に意識し、
それでいて素晴らしい曲を作り上げることなのだ。
音楽論評的には、この本の指摘のように、無理な押韻は必要ない。
しかしこれがなかったらミスチル桜井はただの現代マスコミに踊らされた、
一時期だけ人気のある、どこにでもいるミュージシャンに過ぎなくなってしまう。
これだけの強引な押韻にこだわりながら、
この「名もなき詩」は、多分ミスチルの中の曲では間違いなくナンバーワンのできの曲である。
トータルでみていい曲を作っていながら、これだけ強引な押韻を折り交ぜる、
その桜井君の既成概念、既成社会に対するアンチテーゼをよみとれず、
「強引な押韻は異議あり」とこの曲を論評するのは全くもっておかしい。
特にこの押韻に含まれる「ノータリン」という歌詞など、従来の人気ボーカリストの口にする言葉ではない。
事実、名もなき詩を主題歌にしたドラマ「ピュア」では、「ノータリン」を別の言葉に変えていたという。
「ロックよりポップの方がタフだと思う」
ポップの中に潜む桜井君のロック的精神。
この強引な押韻やノータリンという言葉があるからこそ、
彼が他のどこにでもいる売れっ子ミュージシャンとはケタ違いの、
異質な存在にしている所以ではないだろうか。