過去のインタビュー記事から、
ミスチルの当時を振り返る。
今回ご紹介するのは「SWITCH1998年9月号」のインタビュー。
1997年3月、5thアルバム「BORELO」を発売し、
3月末の東京ドーム公演を最後に活動休止。
1998年2月にシングル「ニシエヒガシエ」が発売され、
思わぬ早く、復活かと思いきや、
再び長い沈黙に入ったミスターチルドレン。
いつ、ミスチルは復活するのか?
そんな世間の注目が集まる中、
行われた、貴重なインタビューが「SWITCH1998年9月号」だ。
しかもこの雑誌が発売されてまもなく、
ミスチルの数ある曲の中でも名曲中の名曲、
「終わりなき旅」が発売されるのだから。
<渋谷・新宿に桜井和寿登場!>
このインタビュー、何がすごいかって、
1つは桜井さん単独の“ゲリラライブ”だ。
活動休止中で人前に1年以上も姿を現していない桜井さんを、
渋谷、新宿、池袋の街角に、
ギター持たせて歩かせるという、とんでもない仕掛けだ。
ロケ第一弾は渋谷センター街。
佐野元春、井上陽水、キングストーンの3曲歌う。
そして次のロケ地に向かう途中、
車の中で桜井さんがこう言った。
「他人の曲だと弾けるけれど自分の曲は忘れてる」
そして桜井さんはスタッフにこう頼む。
「ミスターチルドレンのソングブック買ってきてくれませんか。
歌詞をチェックしたいので」
ロケ第二弾、原宿ラフォーレ前。
「花」「名もなき詩」を歌う。
ロケ第三弾、池袋でも「名もなき詩」を歌い、
最後は新宿に場所を移し、雑誌の撮影のためのロケを終えた。
そしてインタビュー自体は、
東京ゲリラロケの3日前、桜井さんがサーフィンを楽しんでいる、
休暇先の沖縄で行われた。
●活動休止中に発売された「ニシエヒガシエ」
新しい音楽機材を購入し、桜井さんが実験的に作ったもの。
ミスチルでやるつもりもなく、世に出すかどうかもわからなかったけど、
・デジタルロックを出すなら今しかない
・本格復活の前の肩馴らしにいい
・ミスチル以外のバンド名が思い浮かばず
ミスターチルドレンとして発売することになったという。
●小林武史との距離感
これまでミスターチルドレンは、
桜井さんと小林武史の二人三脚で曲が作られてきたが、
「脱小林武史」を意識してか、
活動休止明けのアルバム制作に向けて、
まずバンドでスタジオに入ってセッションして、
そのデモテープを作った後、
小林武史に入ってもらうという方法に変更した。
ドラム鈴木さん、ベース中川さんがやっていた、
バンド「林英男」を見て、リズム隊の素晴らしさを感じ、
リズム隊を活かさなければという思いが桜井さんにはあった。
「自分たちだけでアルバムを作れるんじゃないかと思った時もあった」
というが、ミスターチルドレンに小林武史が加わることのすごさを、
ミスチル自身が再認識させられる結果ともなった。
●再始動について
「深海」と「BOLERO」の2枚を出すことで、
「ミスターチルドレンというバンドのピーク感ではなく、
聴き手の中のピーク感を終わらせたかった
というのが実感だった」と桜井さん。
ミスチルが好きな名波選手(サッカー)が、
試合前にミスチルを聴くと負けるという話を桜井さんは聴いてこう思う。
「次のアルバムには彼が聴いてもアクティブになるような曲を
一曲ぐらいは入れたいな」
このインタビューを終えた半年後、
アルバム「DISCOVERY」が発売となり、同月より、
「Tour '99 DISCOVERY」を行い、完全復活となる。
「DISCOVERY」には「深海」「BOLELO」の、
重く苦しい等身大の桜井和寿を引き連れたアルバムではあり、
ミスターチルドレンが“自分探し”を続ける、
旅の途上であることに変わりはない。
ただ1年あまりの休暇を経て、
ミスターチルドレンが、桜井さんが、
立ち止まることをやめ、一歩進んで二歩下がったとしても、
歩みをやめない決意をした、
記念すべきアルバムでもある。
深海からの脱出は、その1年後、
2000年9月発売のアルバム「Q」まで待たなくてはならないが。
●ミスターチルドレンの転機
ミスターチルドレンにとって、大きな転機となったのは、
「Atomic Heart」の発売(1994年9月)と、
事務所の移籍だったと桜井さんは言う。
「僕達がもっと前進していくためには、
家庭的な感じはいいけれど、
プロとして甘いと思えるその事務所でやっていたら
ダメだと思って辞めた」
当時の担当マネージャーも、ミスチルとももに、
小林武史が設立したウーロン舎に来ないかと誘おうとしたところ、
そのマネージャーに「すごく天狗になっているように見えて心配している」
と言われて、桜井さんはすごく傷ついたという。
「売れていくことと、事務所を裏切ったことは
ずっとわだかまりというか、傷というか、心に残りましたね」
楽曲的な意味で大きな転機となった「innocent world」の話に。
「とにかく聴き手が喜ぶように喜ぶようにという作り方をしていた」
そこに小林武史が「自分のことを書けばいい」とアドバイスする。
「自分のことを書くということも、ただ救われたというか、
これで苦しまなくて済むと思ったんです」と桜井さんは語る。
しかし自分のことを書くことを引き受けた桜井さんは、
「深海」で大きく苦しむことになるのだが、
それはもう少し後の話だ。
■インタビュー前にQ&Aが掲載
桜井さんの好きな歌ベスト10に、
すでにこの頃から、
ピロウズ「ストレンジカメレオン」が入っていた。
「一番希望に満ちた言葉は?」という問いに、
「そのうちなんとかなるだろう」。
「一番危険な言葉は?」という問いに、
「愛してる」。
このあたりのきれい事だけでは片付けない、
“等身大”であることが、
圧倒的多くの人から支持された背景にあったのではないか。