ミスチルファンクラブの会報誌が年明けに届いた。
1/24、40万枚限定発売されるシングル「フェイク」の、
プロモーションビデオ(PV)の撮影様子を「いち早く」お届けしますと、
2ページにわたってPVの何枚かのシーンと撮影現場の様子が描かれている。
しかしね、インターネットにはすでにこの発売前の新曲フェイクのPVが、
全映像アップされていて、誰も見れる状態になっている。
http://www.youtube.com/watch?v=VEliONJvAAE
曲も全部聴けるわけだし、限定発売という意味もない。
金を払っているファンクラブ限定にいち早くPV撮影現場をレポートなんて言葉が、
ちゃんちゃらおかしく思える。
さらに、ほんと情けないことだが、
この会報誌には3/14に発売されるニューアルバムの情報はまったくないのだが、
ミスチル公式ホームページでは会報誌が届いた年明けのタイミングに、
ニューアルバムの発売とツアー決定情報が掲載されている。
私は仕事で紙媒体の制作を行っていて、ネットの制作はやっていない。
ここ数年、ネットがものすごい勢いで出てきたこともあり、
「紙媒体はなくなる」「書籍がなくなる」「新聞がなくなる」といった論議が活発だが、
一方でこうしたかつてのメディアにしがみつく人は、
「ネットなんかくずの文化だ」「あんなもの、玉石混合でどうしようもない」「作りがいがない」
といった負け犬の遠吠えもよく聞く。
結論からいえば、紙媒体もネット媒体もそれぞれのよさを活かして共存できる。
ところが、こうした媒体過渡期には、
過剰な期待や過剰な批判が出がちだ。
しかし最近では、紙とネットをうまく連動させている広告手法もさかんだ。
ネットの速報性と紙媒体の視認性のよさを活かした記事分化も進んでいるのではないか。
単にミスチルの会報誌を作っている連中が情けないだけの話かもしれないけど、
ネットにはすでに情報が流出し、ホームページでは速報性のニュースが報じられながら、
それと同じことをやろうとして、すでに時遅し、意味なし紙媒体を作り続ける馬鹿者も多いのではないか。
たとえばネットを見ない世代を読者としたツールなら、
こうした内容でもいいのかもしれないが、
ネットを使う世代が読者中心の媒体がこんなんではダメなんだと思う。
ファンクラブ会報誌だからこんな馬鹿げたことやっていても許されるけど、
これが市販される雑誌だったら誰も買わず、即刻廃刊になっているだろう。
そういう時代になっているということをわかっていない輩がまだまだ多いんだろう。
だからこそホリエモンやITやネットに文句言ったりすることで、
自分が時代にキャッチアップできないことの言い逃れにしているのだろう。
これは必ずしも年齢関係なく、若い人にもこのような人がいる。
今までネットで動画を見るという機会は少なかったわけだけど、
昨年からyoutubeのおかげで急激に増えてきた。
ネットTVのUSEN「Gyao」のような番組は、小さなパソコン画面で見る気にはなれないが、
今年あたりからネットが見れるテレビが登場すればテレビ業界も一変するだろう。
そうした中で考えると、とっとと民営化してほしいNHKだが、
公共放送にあるまじき、意味不明な歌手選考でなぜか勝敗も決めるという、
紅白歌合戦なるものが未だに年末年始に放送され続けていて、
今年、最低の視聴率だったらしいが、
それで受信料払えという論理はまったくおかしいわけだけど、
(公共放送で国民から金を取るなら、年末にこそ歌合戦ではなくニュースでもやり続けるべきだろうが)
DJ OZMAのパフォーマンスのおかげで放送後も話題に取り上げられていて、
こうした映像を見忘れても、youtubeにはしっかりアップされている。
しかもそれは日本だけでなく全世界から見ることができる。
著作権だの違法だのいろいろな問題があるにせよ、
今はもうそういう時代なのだ。
フセイン死刑というとんでもない愚行が年末年始のどさくさに行われたわけだけど、
その映像を携帯で撮影し、都合のいい映像や音声しか見せない洗脳ニュースではなく、
まさに現場そのままの映像が全世界に見えるという、そういう時代になっている中で、
コンテンツを制作してきた制作プロダクションや媒体を扱うメディアは、
自分自身の存在意義とどのような形で情報を提供していくかということを、
真剣に考えるべき時代になったのではないかと思う。