原爆ドーム写真
先日、広島に行き、はじめて原爆ドームと平和記念資料館を見た。
その時に「原爆投下の理由」という展示を見て思ったのは、
日本が国体護持(天皇制の存続)を求めるために、
自らの命も顧みず狂気の戦争を続けていることが、
広島・長崎に原爆投下という、
とんでもない悲劇がもたらされた一因であると。
結局、戦勝国の利害綱引きのために、
あの敗戦で廃止されるべき処罰されるべき天皇が、
象徴制というおかしな形で存続させてしまったことが、
将来の日本の悲劇につながらないか、私は心配でならない。
小泉首相のために戦争をする奴はほとんどいないだろう。
しかし天皇のために戦争をする奴は今でもいっぱいいるし、
それにあらがいにくい「特別な存在」として扱われている。
東条英機がA級戦犯で、
そいつが祀られているところに参拝にいくと戦争賛美だと批判されるが、
国体護持のために狂気の戦争を起こしたその天皇家の出産ニュースに、
狂喜乱舞することこそ実は戦争賛美なのではないのか。
そもそも戦犯にA級もB級くそもないわけで、
東条英機がA級戦犯で昭和天皇が戦犯でない明確な理由は何なのか。
原爆投下を決断したアメリカの大統領こそ特級戦犯ではないのか。
こうした恣意的な戦犯ランキングだけを信じて批判する無能の前に、
問題の本質をきちんと眺めれば、
私は紀子さま出産ニュースフィーバーこそぞっとする思いでいる。
中国も韓国も日本もマスコミも望むのは平和ではないのか。
だったらそのために何をするか考えた時、
任期がきれる小泉行動をわあわあおもしろおかしく批判する前に、
日本社会の根本的戦争再発させてしまう構造的欠陥(天皇制)について、
きちんとした議論をすべきだと私は思う。
そもそも天皇制論議がタブー視されていることこそ、
いかに日本社会にとって無意識であっても天皇崇拝が根強いかを物語っていると思う。
先日、広島の原爆ドームを見て、原爆を落とすということは許されないけど、
それより何より、落とされるようなことを日本がしてきたからだ、という想いが先にあった。
大久野島での毒ガス製造工場跡や、中国・ハルピンで日本軍731部隊が、
生物兵器の人体実験をした跡などを見た私にとっては、
ある意味では原爆は日本への「天誅」という側面を考えざるを得なかった。
もちろんその天誅を下す権利がアメリカにあるとは思えないが。
しかし、そのアメリカも5年前の911。
飛行機が2機とっこむという前代未聞の大惨事に、
テロの犠牲者がかわいそうだという想いより先に、
なぜアメリカにこのような惨劇が起きたのか、
その必然性ばかりが頭をかすめてしまう。
思えば戦後、日本に外国による大規模テロが起きていない理由は、
「戦争」をしてこなかったからといえるかもしれない。
アメリカが対テロ戦線を叫べば叫ぶほど、
テロが全世界に拡大していったように、
また新たなテロを誘発しかねない、
イラクやアフガンでの無秩序殺戮や軍の横暴が行われれば、
再びテロが起きても何の不思議もないと思う。
テロが起きるのは被害者である前に加害者であるからだ。
戦争遺産をたずねる