・中秋の怪
日本から北京に飛行機で飛び、現地に21時半過ぎに到着した。
翌日、朝8時50分の便で再び国内線に乗るので、
はじめは空港近くのホテルに泊まろうと思ったのだが、
6年ぶりの北京を一目でも見ておきたいと、市内に出ることにした。
夜22時過ぎから北京市内中心部を徘徊する。
しかし、人が異様に少ないのだ。
土曜日ということであってもこんなに少ないはずはない。
かのすさまじき中国の大首都である。
朝は5時ぐらいからわんさかクラクションが鳴り、
夜24時過ぎぐらいまでは普通に人通りがある。
レストランだって夜中3時ぐらいまでやっている店も多い。
そんな人真っ盛りのはずなのに人が少ないのだ。
おかしい、おかしいと思いつつ、
北京は中国国内で最も早く「大人の町」になったのかとも考えた。
翌日、北京から国内線で蘭州に飛ぶ飛行機内で、
わずか2時間のフライトにもかかわらず、
簡単な軽食以外に、明らかに特別プレゼントといった具合で、
もう1つパッケージが渡された。
「Moon Cake」=月餅である。
なぜこんなものがわざわざ出されるのだろう。
私はとてもいぶかしく思っていた。
さて、かような不可思議な2つの出来事を経験したから、
私は「騙された」のかもしれない。
蘭州に到着したのは30分遅れて11時30分。
私がめざすべきチベタンの町「夏河」行きのバスは14時30分しかない。
蘭州空港は市内まで90kmと犯罪的に離れており、
空港から市内を結ぶリムジンバスでも1時間半かかるという。
夏河行きバスに乗る前に、蘭州名物牛肉面を食べ、
できることなら、白塔山公園に行き、高層ビル群と黄河を一望したい。
そう思っていた私は、高いことを承知で、時間を優先させたいと思い、
空港からリムジンバス乗り場ではなくタクシー乗り場へと向かったのだ。
すると、まあ、すごい。
5台ぐらい客待ちしていたタクシーの運転手が、一斉に私めがけて飛びついてきたのだ。
よほど客がいないらしい。
私は特に高くなければどのタクシーでもよかったので、
一応、筋を通すために、一番先頭のタクシーに乗り込んだ。
「市内までいくら?」と聞くと「メーターだ」と答える。
90kmもあるともしかしたら200元ぐらいかかってしまうかもしれない。
でもそれは覚悟の上だ。それよりも私は時間を無駄にしたくない。
タクシーに乗り、私は夏河行きバスの出る「西バスターミナルへ行ってくれ」といった。
すると何か中国語で言い返してきた。
その中で私が聞き取れた言葉はたった1つ。
「ナーリー(どこへ)」行くのか?
私は「夏河(サンチュ)」と答える。
まったく通じない。
サンチュはチベット語読みだ。中国語読みの「シアホー」と言ってみる。
しかし通じない。
仕方がないのでノートに書いた行き先を見せた。
そこには私が訪れるべき4つの町が、漢字、チベット語読み、中国語読みで書かれていた。
上記のような場合を想定して忘れないように書いておいたのだ。
それを見て、案の定、私が一番上の「夏河」を指差しているのに、
その後の3つの地名も読んでしまう。
「同仁」「西寧」「湟中」
「どこに行くのか?」
失敗したな。私の経験上、筆談の場合、ノートのメモを見せる時、
絶対に1ページに1つしか書いてはいけないのだ。
2つ書いたりなんかすると、指差してももう1つの方もどうにかしなければならないと思うらしい。
なんとか他の3つの地名は関係なく、夏河に行く、ということは通じたようだ。
私が敢えて行き先を行ったのは現地の情報を知るためだ。
ひとまずガイドブックには西バスターミナルから夏河行きがあると書かれているが信用はできない。
タクシーの運転手にバスターミナルに行く目的を告げておけば、
「それは別のバスターミナルから出るよ」といったことがある。
だから行き先を隠さずに言った。
しかし、それが失敗のはじまりだったのかもしれない。
急いでいるというのに、それを聞くと、道端に車を寄せて止めた。
本格交渉をしようと戦闘態勢に乗り出したのだ。
運転手の他に助手席には奥さんなのかおばさん1人も乗っている。
2人そろって、「夏河はバスではなくこのタクシーで行くべきだ」というのである。
冗談はよしてくれ。バスで6時間かかる場所。
距離でいったら250kmぐらいは離れている。
なんでタクシーで行かなきゃいけないんだ。
私はのっけから無視して、いいからバスターミナルへ行けという。
しかし、長距離走って稼ぎたいということではない、
何か切迫したものを彼らの言葉から感じた。
何を言っているかよくわからず、ひたすら彼らが繰り返していって、
それでもわからんから書いてもらったのは、
「15時にバスが1号出る」ということだ。
いや、そんなのわかってる。だからバスターミナルへ行くんだ。
にもかかわらず、バスはやめた方がいい。タクシーで行けを繰り返す。
なぜゆえにそんな遠距離にこだわるのか。
ちょっと常軌を逸しているが、彼らは何か親切心のようなものも感じられる。
私が不思議がって困っているところに、ノートにこう書いたのだ。
「中秋節 人●多 坐少上車」
それを見た私は、北京でのこと、そして飛行機での月餅の謎が瞬く間に解けたのである。
そっか、中秋節という特別な日だから、こんなことになっていたんだと。
9月18日という日は、別の意味で私は気をつけていた。
満州事変が勃発した柳条湖事件が起きた日で、
ヤフーニュースで「ネットによる反日攻撃の呼びかけ」というのを見ていたのだ。
それには多少の気遣いをしていたが、まさか中秋節とは。
私はこれを聞いて、バスで行くべきか、タクシーで行くべきか、
はじめて真剣に悩まなければならなくなったのである。
特別な休みの日の、中国の国内移動は尋常じゃない。
たとえば、10月1日からの1週間は国慶節で、ほとんどが休みになり、
国民大移動がすさまじい勢いで行われ、列車やバスの切符はほんと取れなくなるらしい。
また毎年1月末から2月中旬のどこか1週間の旧正月、
これまたすさまじい国民移動が行われるらしい。
現に私がこの時期にラスベガスに取材で行ったのだが、
高所得者層中国人が大挙して押し寄せるため、
ラスベガス中がこの時期のみ「チャイニーズウエルカム」仕様に様変わりする。
ようは日本の年末やお盆の帰省ラッシュを10倍規模にしたもの、と思っていただければいい。
この「中秋節」というのは聞いたことはないが、
土日とくっついているし不気味だ。
それに何より、あの北京での人気のなさ。
もしかしたら結構、国民大移動が行われている可能性は十分考えられる。
そしてもう1つ。
もしかしたらこの時期、夏河のチベット寺院で大説法会が行われているかもしれない、
という情報も気になった。
2年前のガイドブックで、よく変わりやすいがという注はあるものの、
年に2回行われるこの大イベントがちょうどこの時期にあたっているのだ。
もしそれも本当で中秋節とぶつかれば、
確かに彼らの言うように「バスに座れない」ということが起こりうるかもしれない。
でもなー。
バスで行けるところをわざわざタクシーで行くというのは、
見事に口車に乗せられたみたいで、いかにもぼったくりに引っかかったということではないのか。
しかし、中国というすさまじさを侮ってはいけないという思いもある。
これはどうしたものだろうか。
私が思案していると、ドライバーは思わぬことを書いたのである。
「タクシーなら夏河まで3時間で行ける」
「3時間?」
そんなアホな。いくらタクシーとはいえ、バスで6時間かかるところ3時間というのはありえない。
バスだって結構なスピードを出すのだ。
しかし、確かに3時間は嘘だとしてもタクシーならバスより相当早く着くことは間違いないだろう。
それに、快適だよな・・・。
そこで私は値段を聞いてみた。
「800元」
う〜ん、かなり高い。
800元=12000円ぐらいである。
バスなら多分30元=450円ぐらいだろう。
でも待てよ。
私は空港から市内までタクシーに乗ってしまっているのだが、
90kmもあるためそれだけで200元はかかる。
タクシーを1日チャーターすると300〜400元ぐらいだ。
そして300km近い遠方で、片道になる。
それで合せて800元というのは、高いがムチャクチャぼったくっている、という感じはない。
そして何より、私は早く夏河に着きたかった。
そしてできれば、6年前に二度来たこの蘭州の町の丘にある白塔山公園から、
黄河と町並みを眺め、写真を撮りたい。
いろいろなことが頭をよぎったが、
空港から白塔山公園に行き、そして市内で蘭州名物牛肉面を食べ、
そして夏河に向かうというコースで全部で800元でいいということで手を打ったのだ。
というわけで、私は誘惑に負けてしまい800元もの大金を出して、
タクシーで夏河まで行くことになった。
思わぬ展開になったため、タクシーはあわててガソリンスタンドに入って満タンにし、
私も予想外の出費が発生するので、すでに両替している4万円では足りないと思い、
中国銀行に行って1万円両替した。
800元もの大金が転がることになり、また長旅のパートナーになったことから、
なんだか急に親切になり、なしのような果物を3つほどくれた。
予定通り、白塔山公園にも行き、6年前、私が会社を辞めてアジア放浪して見た、
黄河と中層ビル群の景色も眺めることができた。
そして、なんといってもこの地に来たら、蘭州名物牛肉面である。
ドライバー行きつけの食堂に連れて行ってもらい、
3元=45円で実にうまい牛肉面を食べた。
そしていよいよ夏河に向かうことになった。
奥さんらしきおばさんは降りてドライバーとの2人の旅になった。
蘭州から夏河へと向かうはじめの道路は、すんばらしいできたての高速道路で、
しかも車通りも少なく、すいすいと進んでいった。
「確かにこれなら3時間は嘘ではないかもしれない」とも思った。
しかしそれもはじめの1時間半ぐらいの話で、舗装はされているが一般道を走っていく。
ちょうどその時だった。
前方に蘭州発夏河行きのバスが前方に見えたのだ。
果たしてどのぐらい満席なのだろうか見てやろうと思い、
タクシーが抜かすのを今か今かと待ちわびていたのだが、
なぜかドライバーはまるで私がバスの存在に気づいたことを知ってか、
急に減速して走り始め、しまいには道路途上で止まり、
頼みもしないのに「ツーソー?」(便所に行くか?)と声を掛けるのである。
これは完全にしてやられたかな。
バスでも普通に行けるんじゃないかと思いつつ、
私はもうそんなことはどうでもよくなっていた。
私がさまざまな状況を勘案してタクシーを選択したのであり、
もうこうなってしまった以上、結果的にバスが空いていても仕方がない。
でもそんなことはいいから、せめてビューんとバスを抜いてくれよ。ドライバー。
でないと800元も払った価値がないじゃないか。
しかして、3時間というのはやはり無理な話であった。
でもタクシーのおかげですごく快適に、そしてすいすい進んだことは事実だ。
まあ3時間は無理でも4時間半ぐらいで着くだろうと思っていたが甘かった。
タクシーは行けども行けどもまったく着かず、
とうとう日は暮れだし、辺りは暗闇に包まれ始めた。
いよいよチベタンの町に入るといわんばかりに、
まったく舗装されていない道路で山の中を進み始めた。
結局、タクシーは6時間かかって、やっと夏河に着いたのだ。
夜の20時を過ぎていたが、まあバスで行ったらもっと遅かっただろうから、
別に私は時間のことは気にしてはいなかった。
しかし、である。
さすがは「アジア」。ここできれいに終わらせてくれないのである。
夏河の町に着き、ホテルらしき前に到着すると、
タクシードライバーは「もう100元払え」というのである。
●●●●、おまえもか。
とても悲しい気分になった。
あんたはいい人だと思っていたのにな。
さて、ここで私は考える。
1:もうくたくただし、別に100元=1500円ぐらい出して済むなら、
払ってそれで済ませてしまう、
2:ここで「キレタ」かさこモードに変身し徹底抗戦する、
3:それとも言っていることがわからないといった感じで、
とにかくはじめに言われた通りの800元払って逃げ降りるか。
私はあとくされないようにしたかったので3を選んだのだった。
ところが、このおやじ、ねばるのである。
というか800元なんてとんでもないといった剣幕で必死に抗議するのだ。
筆談と言葉とゼスチャーから、彼はこう言っているのだった。
「途中、道路が舗装されておらず、道がぼこぼこで大変だったから100元よこせ」と。
おいおい、いい加減にしてくれよ。
私は彼に1つの疑問を抱いていた。
夏河まで行ったことがないらしいのだ。
というのも途中の町から彼は急にしょっちゅう車を止めて、
夏河の場所を聞いていたのだった。
だからこんなことを平気で言うのだろう。
私にしてみればとんだ迷惑である。
彼があまりにしつこいので、私は悲しいかな、「キレタ」モードに変身することにした。
「おまえ、夏河までの道、知らねえじゃねいか。
デコボコの道だってことも知らずに、よくぬけぬけと3時間なんて嘘をつきやがって。
だいたいバスは混んでなかったじゃねえいか。俺は知ってんだぞ。
あんたが3時間っていうから800元もの大金叩いて乗ってるのに、
6時間もかかりやがって、それこそ100元金返せよ、おい!」
と日本語でまくしたてるのであった。
彼はそれでも抗戦し「道が舗装されていれば3時間で行けたのだ」と繰り返していた。
コイツ、ほんとに知らなかったんだな。
片道3時間で800元ならおいしいなと思っていたのに、
片道6時間もかかってしまい、こんな真っ暗になってしまって、
とても今から蘭州に帰れなくなってしまった。
とんだ計算違いでぼったくれなくなってしまったから、
せめてあと100元でももらってその帳尻を合わそうというのだろう。
しかし一度「キレタ」モードに私をさせたら交渉の余地なしである。
「おまえ、道も知らないくせに夏河にタクシーに行くなんていうなよ、バカヤロー!」
といって私はとっととタクシーを降りたのだった。
彼がタクシーを降りてきてずっとついてくるのではないかと警戒していたのだが、
なんと彼はそれであっさりとあきらめてしまった。
さすがは中国。
基本的にそんなに中国はぼったくりという意味では、そんなにひどくないししつこくない。
一波乱余計な争いで私の貴重な旅力を使ってしまったのだが、
やっと目的のチベタンタウンに泊まれることになったのである。
・幸か不幸か中国バスアクシデント
チベットタウン・夏河から合仁にバスで向かう時のこと。
バスは朝8時に出発し、「さあさっさと走ってくれ」と思いきや、
やはりというべきか中国バスの慣例通り、
町をぐるぐる走って乗客の客引きをし(すでに座席はいっぱいなのだが)、
それが終わると今度はガソリンスタンドに行き、ガソリンを入れ、
(なぜ出発前に入れておかないのかいつも疑問に思う)
バスターミナル出発時刻から30分以上過ぎて、
やっと町を抜け、アップダウンのある草原を走り始めたのだった。
1時間ほどずっとひたすら山道を登っていたのだが、
頂上に達したらしく、今度は一挙に下る道に出た。
するとそこには、ぱっっと草原が開けた素晴らしい景色が広がっており、
私はあわてて小雨で濡れたバスのきったない窓をこすってふき、
カメラを取り出し、あわててシャッターを切っていたところだった。
と、その時である。
「ゴゴゴゴゴゴゴーーーー」
バスはものすごい音を立てて急停車したのであった。
「ホオッイ!」
バスの運転手は非常事態に何事か乗客に叫んだ。
バスから出ろ!ということらしい。
左に傾いたバスから乗客はあわてて出たのであった。
見ると、見事にハマッてしまったのだ。
道路脇に土に。
狭い道路で急な下り坂。
かなり荒い運転をするドライバーが強引に、
トラックを抜き去ろうとして端に寄せたために起こったアクシデントだった。
もちろん、抜こうとしたトラックは「ざまあみろ!」といわんばかりに、
とろとろと下り坂をマイペースで下っていたのだったが。
このアクシデントに私は大喜びであった。
ちょうどこの素晴らしい景色でとまってくれて、写真が撮れる。
バスを心配そうに眺める乗客を刺激しない程度に、
私は景色と、そして見事に傾いてしまったバスの写真を撮る。
「なんてこんなタイミングよくアクシデントが起きるんだろうか!」
と私は喜んでいたのだが、それははじめの10分程度の話だった。
人が押せば簡単に抜け出せると思ったバスは、まったく動かなくなってしまったのである。
結局、かなり肌寒い早朝の草原の中、バスが動き出すまでに1時間かかったのであった。
ただ、はじめは写真が撮れるなどと喜んでいたのだが、
バスをまじまじ見るに、大きな事故にならなくてよかったなと思った。
中国でとにかく怖いのは運転である。
とにかく荒い。当然、事故も多い。
特にチベット自治区に6年前訪れた時なんか、
そこらじゅうでトラックとかが横転してるんですよね。
道路が整備されていないのに、すごい荷物を積んで、
そんでもって猛スピードを出し、追い抜きもすごいから。
中国という国民性を端的に現しているようだ。
ただ乗客は慣れっこになっているのか、写真を撮っていて不謹慎という雰囲気はない。
ドライバーほか数名が、懸命にタイヤ脱出作業をしている間、
寒いもんだから傾いたバスの中に入って寝てたりタバコ吸ったりしてるんだから。
やっとのことで復旧脱出し、バスは1時間遅れで走りはじめたわけだけど、
このドライバー、懲りずに遅れを取り戻さんばかりに、
また猛スピードで、「ワンワン」クラクション鳴らしながら、次々と車を抜いていったな。
さすが、中国。
そしてグッドラック。
・瓜叶則寺の思い出
チベットの町、夏河から同仁に行く途中、
山間にある眺めの素晴らしい、お寺を中心とした小さな村を通り過ぎ、
「ここに行ってみたい!」と思って、翌日、早速行ってみることにした。
同仁から夏河行きのバスに乗ると、なんとまあ驚くべきことに、
昨日、事故を起こして立ち往生したバスの運転手がいるではないか。
この路線は片道だけ走って翌日帰るという間隔らしい。
また事故を起こさなければ、と思いつつ、
見慣れたバスの運転手ということに妙な楽しさを感じた。
チベットのウルトラガイドブック、旅行人のチベットですら、
瓜叶則寺は地図に地名として載っているだけで、
ガイド的な内容はまったくない。
でも村は小さく、別に何か特別なものがあるわけでもなく、
私はチベット寺院と仏塔と村と、そして巡礼に来た人々と景色を見るだけで十分だった。
今回のチベット旅行で一番はじめに訪れた町、夏河では、
人々に「写真を撮っていいか」と聞いてが半分ぐらいノーといわれた。
こんなにも写真撮影を拒否されるとは思っておらず、
瓜叶則寺に来てとってもいい人々の姿を見ても、「また断れるのではないか」と思い、
なかなか声を掛けることはできなかった。
私はこの小さな村の丘に腰を下ろした。
丘に登って村を一望しようと思ったからだ。
丘の途中にはリンコル(巡礼路)がある。
チベットに人々はとにかく「回る」ことがお祈りの一つで、
1つの寺院の周りや仏塔の周りを回るほか、
寺院群全体、すなわちこの小さな村の周りにも、
回るためのリンコルがあり、そこを時計回りにぐるぐるぐるぐる何周もしているのである。
私が丘に腰を下ろしていると、私の目の前を次々とリンコルを回る巡礼者たちが歩いていった。
丘に腰を下ろし、でかいカメラをぶらさげて、国籍不明の私に誰だって目を向ける。
私は「不審なものではない」と示すために、
彼らの目線を確認すると「タシデレ」とチベット語で挨拶するのであった。
するとこの突然の挨拶に誰もが妙な笑いを浮かべる。
「変な外国人がいるな」と思ってくれたのだろう。
私はこれならいけるかもと思い、「写真を撮らせてくれないか」というと、
リンコルを巡る巡礼者は、昨日の夏河とはうって変わって、
みんな撮影に応じてくれるのだ。
「これは実にいい」
私はどっかと腰を下ろして、次々と来る巡礼者に声をかけては、撮影をしていった。
一度ここを通り過ぎた人が、およそ2kmぐらいはある巡礼路を、
もう一巡りしてまた出会うと、
「なんだ、あんた、まだいたのか(笑)。物好きな奴だなー」
といわれているような気がして、私は照れ笑いを浮かべていた。
3時間ほどそんな風に人や景色を撮影しながら、小さな村をぶらぶらしていた。
お昼時になったので、村にある小さな食堂を訪れると、
みな私を奇異な目で見かけた。
そりゃそうだ。観光名所でもなんでもないローカルな食堂に妙な外国人が入ってきたのだから。
私は幾分、緊張しながら、メニューのないこの店で、
周りの人々が食っている様子をみるに、チベットうどん「トゥクパ」の店だろうと思い、
トゥクパを1つ頼む。
「ダイワン?ショウワン?」と聞かれて一瞬とまどいを覚えるが、
「大椀?小椀?」と聞かれていると理解し、小さい方を頼んだ。
幾分心細い中、私に興味を持った若い男2人と小さな女の子のグループが私のテーブルに移動してきた。
何をしゃべれるわけでもないが、とりあえず日本人であることは、
筆談と言葉で通じたようだ。
あとは子供と写真を介してコミュニケーションをとっていた。
このきったない小さなお店のトゥクパがなぜかムチャクチャうまかったんだな。
大椀にすればよかったなどと思ったりもした。
不思議だな。こんなところで食べるトゥクパがこんなにうまいとは。
田舎の小さな村で外国人に合うおいしい食事にありつけるとは思いもせず、
満足しながら、さて、そろそろ同仁に帰るかと思った。
やはりというべきか、夏河ー同仁のバス以外、公共交通機関はないようだ。
バスはもう行ってしまっている。
それは予測できたことだったので、タクシーをチャーターして来ようと思ったのだが、
まあどうにかなるだろうととりあえずバスで来た。
というのも瓜叶則寺の道路にはうようよバイクタクシーがいた。
同仁まで車で1時間とかなりの距離はあるが、行ってくれないということはないだろう。
しかしバイクタクシーに声を掛けると誰も行ってくれないのだ。
1人のドライバーだけが16時30分なら同仁に行く用があるので、乗せていってくれるといった。
でもなーまだあと3時間もある。
長い旅ならのんびりしてもよいのだが、なんせサラリーマンの夏休みという短期旅行なので、
できれば早く帰って、また別の場所を見たかった。
でもまあどうしようもないようなと思って、再び村をぶらぶらしていると、
その前に声を掛けたバイクタクシーの男が「乗れ!」というのだ。
「乗せてってやる」というのだ。
そんなわけでなぜかは知らんけど、同仁に向けて、
私は標高3200mの高原の風に吹かれながら、
バイクにまたがり快適なツーリングを楽しんだのだった。
下り坂が多いせいか、ガソリンが貴重なためか、
下り坂になるとバイクタクシーはエンジンを切ってしまう。
幾分、大丈夫かなと思いつつも、さすがはチベットだなあと妙に感心していた。
同仁そばに着くとバイクタクシーはガソリンスタンドに入った。
ガソリンを入れ始めると、そのガソリン代を私に出せというのである。
料金をきちんと交渉しないまま来てしまったのが悪いのだが、
ガソリン代も払って別途運賃も払うということなのだろうか。
ガソリン代込みでいくらかということではなかったか。
私はこれまでの瓜寺の素晴らしい旅が吹き飛んでしまうような不安に襲われ、
まあとにかくここは彼の言うとおりにしようと、
ガソリン代28元(420円)を支払った。
同仁そばの目的地に着くと、私は運賃を払わねばと思い、いくらかとドライバーに聞いた。
するとドライバーはなんと「金はいらない」というのである。
確かに私はガソリン代を払ったが、でもバイクで1時間以上走らせていて、
彼は誰も乗せずにまた元の道を帰らねばならないわけで、
ガソリン代込みの値段としても28元は安いだろうと思った。
しかし彼はゼスチャーでこういうのであった。
「お寺をお参りに来た人からお金なんかとれない。
それにガソリン代をいただいてしまったし」
旅に行くと騙されること、ぼったくられること、吹っかけられることがあり、
せっかくの旅の思い出が台無しな気分になることも多い。
しかし、この瓜寺旅行は最後まで裏切らなかった。
それどころか、この見知らぬ外国人に対して最後まで実に優しかった。
予定にはなかった瓜寺旅行。
やっぱり、田舎は、いいな。
・瓜叶則寺写真
・西部大開発
チベット文化圏の入り口の1つ、
標高2200mの西寧(シーニン)は今、
中国の高度成長に伴い、大開発ラッシュである。
このように古い建物をぶっ壊して、
30階建てぐらいのビルやマンションを建設している。
(無論、この光景は中国全土で行われていると考えていい。
実際に私が目にした場所は、北京、上海、青島、大連など、
大都市は数年前から町を歩くとこんな光景ばかりだ)
写真左:現在使われている掘っ立て小屋のような西寧空港。/写真右:その隣に新たに建設された西寧新空港。
西寧の中心部だけに開発はとどまらない。
写真左は、西寧とチベットタウン・湟中のちょうど中間地点にある、
(どちらの町からも10kmぐらいか)
だだっぴろい野原に建設されている新しい町である。
看板のキャッチコピーは「西寧に上海風情的町完成!」。
写真に見える多分7階建てのマンションが、
ざっと見でおよそ50棟ぐらいは建っている。
まだ誰も入居していないようだが。
中国でビルを建てる場合、7階までならエレベーター設置が免除されるので、
新しいビルは大抵7階で、
それ以上はどうせエレベーターをつけなくてはならなくなるので、
30階とか40階とかになる。
旧来の町と町との間に造られている新興ニュータウンは、
上海旅行の際にも何度も見た光景だ。
上海と水郷村の間にこのような大規模開発が何ヵ所もあった。
上の写真は西寧から5時間ほど行ったところにあるチベットタウン同仁である。
同仁もこうして小さな町をどんどん拡張し、道路を作り、
ビルやマンションを作り、近代化が急ピッチに進んでいる。
中国開発の嵐は、上海のような大都市から、西寧のような中都市へ、
さらにはその郊外へ、そして同仁のような小さな町にもどんどん波及している。
これが中国の高度成長の今である。
チベット旅行を終えた後、私は仕事の出張で、
東海道新幹線、山陽新幹線、上越新幹線、長野新幹線に乗った。
その際、地方都市の中心部はどこに行っても、
「東京」とあまり造りが変わらない光景だった。
マクドナルドがありコンビニがあり武富士があり吉野家があり、
駅ビルがあり、オフィスビルがあり、マンションがある。
利便性と機能性を考えた場合、
このような造りにならざるを得ないのは致し方がないが、
旅行に行きたいとかこの場所に泊まりたいとは絶対に思わない。
ふと、それと同じことが中国でも起きていると考えると、
これはえらいことだよな。
私が中国を何度も訪れるのは、その地方、その省によって、
気候も文化も人も違うからであるけど、
それが数年後、日本と同じようになるかもしれない。
そう考えるとヨーロッパはすごいかもしれない。
ヨーロッパの中心都市は100年前の町並みがきちんと残されていて、
その中にホテルやコンビニやマックが入っていたりする。
だから町に行っても旅行気分になれるし、
それぞれの町に独自性がある。
旅行者のために町があるわけではないし、
生活者にとっては便利な機能的な町の方がいいに決まっているかもしれない。
でもなんだかそれはとても残念なことだ。
どんな地方都市にいってもどんな奥地にいっても、
現れる町の風景が同じではな・・・。
旅行者としては中国の開発で道路が舗装されたりして、
便利になる恩恵もすごく受けるが、
なんだかとても残念な気がしてならないけど、
まあそれは旅行者というアウトサイダーの人間の勝手な言い分なのかもしれない。
ただ思うのは、風景が変わると、それによって人の生活スタイルも文化も、
そして心も変わるということ。
それを忘れてほしくないなと思う。